お忍び訪問の5日後、12月9日に雅子さまは59歳のお誕生日を迎えた。その日に公表された「ご感想」で雅子さまは、皇太子殿下(当時)と結婚したのがちょうど29歳半の時で、それから29年半が過ぎ、いつの間にか人生の半分を皇室で過ごしてきた、と振り返った。そして、こう続けた。

<これまでの人生を思い返してみますと、(略)本当に様々なことがあり、たくさんの喜びの時とともに、ときには悲しみの時も経ながら歩んできたことを感じます>

 「悲しみの時」という言葉に心が揺さぶられた。「適応障害」という病名が公表されたのは、愛子さまが生まれて2年余り経った時だった。その時、雅子さまの苦しみのありかをきちんと理解していたのは、皇太子さま(当時)だけだったのではないだろうか。それから19年、常に雅子さまの苦しみに寄り添い、喜びを共にしてきたのは陛下と愛子さまだ。私の心には、肩を寄せ合うように生きる陛下と雅子さまと愛子さまの姿が常にある。だから陛下と愛子さまの関係は、そう簡単には変わらない。そう思えてならない。

 というわけで、天皇家の父と娘、秋篠宮家の父と娘、その違いについて書いてきた。どこの親子も違うものだから、違って当然だ。が、この二組の父娘の場合、違いの根底あるのは女性皇族の生きづらさだ。そのことは忘れず、考えていかねば。そのように思う年の瀬だ。