中学校の野球部のとき毎日きたグラウンドで、当時は機会がなかったベースの一周に、車いすを走らせた。「気持ちいいですね」と、うれしそうだった(写真/山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年9月9日号では、前号に引き続きミライロ・垣内俊哉社長が登場し、「源流」である故郷の岐阜県中津川市を訪れた。

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 バリアフリーは障害者や高齢者ら「弱者」にとってのバリアを取り除く試みだが、バリアは「弱者」にあるだけではない。例えば、銀行で客の相談に乗るカウンターは、背が低い人でもすごく高い人でも視線が合うように、複数の高さにしてあるだろうか。していなければ、そこにもバリアはある。

 ミライロは、社会には環境、意識、情報の三つのバリアがある、ととらえる。環境のバリアでは、バリアフリーへのコンサルティングをしている。意識のバリアには、障害がある人たちとどう向き合えばいいのか、マナーの研修や検定試験を展開。バリアフリー化の予算がないところには「ハードは変えられなくても、ハートは変えられる」と呼びかけている。情報のバリアでは、飲食店やホテルなどのバリアフリー状況をスマホへ配信するアプリを開発し、障害者手帳を取り込むアプリも運営している。

 生まれてまもなく、父と同じ遺伝性の骨形成不全症と判明した。骨がぜい弱で、外傷くらいでも骨折してしまう。それでも小さいときは歩いていたが、小学校4年生から車いすでの生活になった。でも、いくつもの出会いから、「障害があるからできること」を探し、「障害を価値を生むものにする、バリアはバリューへ変えられる」という発想が生まれていく。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

突然の代打指名でフォアボールで出塁喜んだ球友たち

 この7月、故郷の岐阜県中津川市を、連載の企画で一緒に訪ねた。母校の市立苗木中学校へ入るのは、久しぶりだ。緩い坂を上がると、右下にグラウンドが現れた。野球部に入り、車いすで球友と過ごしたところだ。

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四つんばいになって上下した高校の階段みていてつらくなる