『源流Again』で高校を訪ねて、その階段を見上げた。

「何か、みていてつらくなるくらいの景色ですね」

 そう言って、少し沈黙する。

 高校2年生になる前に休学して、大阪市で手術を受けた。リハビリをしていたら2カ月後、歩くことは無理だ、と告げられる。その夜、病院の屋上から飛び降りようとした。でも、自力では柵を越えられずに「死ぬこともできないのか」と泣いた。

 ただ、すごい出会いがあった。同じ病室にいた初老の男性に絶望感を話すと、「きみは、ちゃんと登り切った先の景色をみたのかい、やれるだけのことをやったのか?」と問われる。目が覚める思いがした。

「登り切った先」など、みていない。それだけのことを、まだしていない。ここから気持ちを立て直し、大学へ入って「車いすだからできる」ことを探し、起業を目指そうと道を定める。中津川市で溜まっていた水源から、『源流』が流れ始めた。

 高校卒業の資格を得る認定試験に合格し、2008年4月に立命館大学経営学部に入ると、二つの出会いに恵まれた。

歩けないことも客に覚えてもらえば営業マンの強みに

 自活のためにアルバイトを探し、ネット向けホームページなどの制作会社の仕事が決まり、いくと社長から「営業をやれ」と言われる。驚いたが、パンフレットを手に飛び込み営業へ出た。でも、訪ねた先に段差があったり、エレベーターがなかったり。他の営業マンは1日100軒は回っているのに、せいぜい10軒から20軒。どうすれば契約を増やせるか考えて、同じところへ通い詰めてみることにする。狙いは当たり、数カ月で営業成績がトップになった。

 このとき、社長に言われた。

「歩けないことをぐじぐじ言わず、胸を張れ。お客さんに覚えてもらえるなら、それは営業マンにとって大きな強みだ」

 車いすに乗っていることを、強みにもできる。目標は「歩けなくてもできること」から「歩けないからできること」へと広がり、病院で聞いた「登り切った先」への道を上がっていく。

 もう一つの出会いが、同じ経営学部の起業家育成コースにいた民野剛郎さんで、いまミライロの副社長。前号で紹介したように、たまたま学生食堂で一緒になり、意気投合して、2人で2010年6月に大阪市北区にミライロを設立した。

 中津川市では通った杉の子幼稚園へも寄り、元園長の郷田恵美さんと担任だった土屋千草先生と会った。ここで、初めて聞く話が出た。当時はまだ歩けたし、園庭でサッカーもやった。そのとき園児たちはぶつかってケガをさせないように、垣内さんが動き出すと、行く方向の子どもが手を上げて「俊君がくるよ」と合図した、という。

「そうだったのか」と頷く。園長も教諭も言った「特別なことはしませんでしたよ」との言葉にも、胸が震えた。『源流』の水源は、ここでも湧いていた。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年9月9日号

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