両陛下へ説明できたのは数分しかなかったが、強い印象があったのかもしれない。事業者を集めて説明会を開いた当時の写真など、中山さんが準備したパネル資料に目を通した雅子さまは驚いた表情を見せ、
「苦労されましたね」
と、深くうなずきながら中山さんに言葉をかけられた。
そして、ほほ笑みながら、こう話しかけた。
「8月に(説明会を)されたんですか。早いですね。(地域が復興して)本当によかった」
「もう助からない」2階で腰まで泥水が
地域の復興のための取り組みについて、中山さんが資料を整理し、だれかに説明したのは、両陛下が初めてだった。
6年前のあの日の夜、自宅がある地域に避難警報が出た。日付が変わった未明、自宅が浸水し始めた。
みるみるうちに1階の水かさは増し、冷蔵庫がひっくり返った。玄関の扉は水圧で開かず、外へ逃げ出すこともできなくなっていた。息子夫婦と3人の孫が寝ていた2階まで、あっという間に泥水が上がり、腰の位置まで水が来た。
泥水をかき分けてベランダに逃げるが、泥水は引かない。孫のうち2人は小学生、末の孫は生後10カ月の赤ちゃんだ。「もう助からない」と死を覚悟した。
赤ちゃんを抱き、子どもを守りながら、5人で迎えた朝。泥水に浮いたゴミがさーっと流れていくのが見えた。中山さんは、家族に声をかけた。
「水が流れている。助かった」
中山さんたちは昼過ぎ、自衛隊のボートに救助された。
翌日、経営する家具の製造会社へ行ってみると、機械も、納品する予定だった家具も、水に浸かっていた。
すべてがダメになっていた。それでも、取引先からも励まされながら、復興に向けて走り始めたのだった。