とはいえ、代ゼミの優秀な講師の指導のおかげで苦手な物理の成績を上げることができ、共通一次は600点台の後半を獲得しました。

 母子家庭という経済的な理由から、国公立しか選択肢がなかった山田さんは、この年も前期試験で東京農工大学工学部電気電子工学科のみを受験し、落ちてしまいました。

 こうして2浪に突入しますが、この年からは親に頼らないことを決めます。新聞奨学生をしながら、学費を捻出して代々木ゼミナールに通いました。しかし、朝早く起きて、夕方にも夕刊を配るスケジュールは苛烈を極め、勉強に費やす時間がとれなかったようです。

「朝早く起きて新聞を配るので、帰宅して予備校に行くまでの間に寝てしまうんです。それで結局、あまり勉強時間の確保ができませんでした。新聞奨学生をやっていたので、新聞販売店が予備校代を全額出してくれましたし、新聞配達のお給料ももらえるので、それで安心してしまっていたのもよくありませんでしたね」

苦手科目だけの受講に切り替える

 2浪・3浪も同じような生活をした結果、毎年少しずつ成績は上がったものの、1年目ほどは上がらなかったようです。

「それでも、浪人生活が長くなればなるほど、上の大学に入らなきゃと思っていたので、2浪目からは東大を志望して、受験し続けていました」

 新聞奨学生の過酷な生活に耐えかねた山田さんは、4浪目以降は代々木ゼミナールの単科コースに切り替え、苦手科目だけ月謝を払ってピンポイントで受講するようになりました。これ以降15年間、生活習慣はほぼ変わらなかったそうです。

「毎年、ずっと何かの科目を受講していました。予備校全体の学費がかかるわけではないので、毎年アルバイトをやって、学費のやりくりをしていました。

 接客の仕事が好きだったので、デニーズや魚民・笑笑などの飲食店でウェイター、ゴンドラでビルの壁を清掃、新宿2丁目で水商売、銀座のクラブでボーイ、とさまざまなアルバイトをしました。東京はバイトがいくらでもあったので、危険なバイトもたくさんやりましたね」

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