小野寺萌恵(おのでら・もえ)/2003年、岩手県生まれ。4歳の時に発症した急性脳炎の後遺症で両脚が動かなくなる。中学2年の時に車いすレースを始め、21年3月の日本パラ陸上競技選手権大会で3種目制覇(撮影/越智貴雄)
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 AERAの連載「2024パリへの道」では、今夏開催のパリ五輪・パラリンピックでの活躍が期待される各競技のアスリートが登場。これまでの競技人生や、パリ大会へ向けた思いを語ります。AERA 2024年9月2日号から。

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 パリ・パラリンピックへの出場が決まったからといって、小野寺萌恵は喜んでばかりではいられなかった。

 前哨戦となった5月に神戸で開催されたパラ陸上世界選手権では、車いす女子100mで3位、同800m(いずれもT34=脳性まひ)で5位。近年、車いす女子のトラック種目では欧米と中国の選手が上位を占めることが多いなか、小野寺は日本人でメダルを狙える若手として実力を示した。

 それでも、結果に満足できなかった。レース後は「スタートの練習を中心にやってきたのに、うまくいかなかったのが悔しかった」と満足した様子はなく、「練習が足りない」と繰り返した。

 今、小野寺が直面しているのは「世界の壁」だ。

 中学2年生で車いす陸上を始めると、17歳の時に出場した2021年の日本パラ陸上競技選手権で100m、400m、800mを制した。以来、日本国内では圧倒的な強さを誇る。

 だからこそ、次に見据える場所の頂(いただき)は高い。

 神戸での100m決勝のタイムは19秒15。優勝したハナ・コックロフト(英国)とは2秒26の差がつき、自己ベストの18秒46の更新もできなかった。コックロフトは800mでも1分52秒79の大会新記録で優勝。小野寺のタイムは2分17秒18なので、ここでも24秒39の大差がついた。

 新たなライバルも台頭している。100mと800mで銀メダルを獲得したのは16歳のラン・ハンユー(中国)。800mはアジア新記録も更新した。

 小野寺は、自らの力を出しきれなかった現実に、大会が終わってから「このままではダメだ」と悩んだ。どうすればいいのか。今のままでは無理なのではないか……。試行錯誤を繰り返していた6月下旬、一つの決断をした。何もやらないよりは、失敗しても挑戦して“何か”を得たい。パリ大会まで残り2カ月に迫った時点で、小野寺はレーサー(競技用車いす)に座る時のポジションを変更することにした。

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パリ大会の目標は