『その朝は、あっさりと』 谷川直子 著
朝日新聞出版より発売中
「ああ~ああああああ」
たまに一人旅に出ることがある。
このあいだも青森、五所川原から金木に向かう弘南バスに乗っていた。中途半端な時間だったせいか、バスの中は私と病院帰りらしいおじいさんとほぼ貸し切り状態だった。このおじいさん、冒頭のような長いあくびを連発した。ほんとうにひっきりなしに。
旅の空で揺られ揺られて聞く他人のあくび。それがどうしても、飽きた、俺はほとほと飽きてしまったんだよう、生きるのがさほんとにさぁ、のように聞こえた。おじいさんのあくびが私にも伝染して、今はいいとしてこの先どうなるんだろう。私はどうなって死ぬんだろう。緩慢な死が恐ろしい気がした。我が身を持て余すときが来るかもしれない。
私たちは今「人生百年時代」などと言われる稀にみる長寿社会を手に入れた。それを手放しで喜べるかどうか。漠然とした不安まで手にしたのかもしれない。
谷川直子著『その朝は、あっさりと』は、長らえた後死ぬることの意味を問う老衰介護看取り小説である。
主人公恭輔は96歳。十年前から認知症の症状が現れ、四年前に転んで骨折してからは本格的な在宅での介護生活を受ける身になった。妻は85歳。還暦前後の二人の娘と息子がいる。
この小説は恭輔が亡くなるまでの三週間を扱っている。
介護する家族は疲弊している。
「はよくたばれ」「やってられん」そんな言葉とは裏腹に
「食べなあかんやん。百まで生きるんちゃうの」
長い間共に暮らした、大事に育ててくれた、疲れてもなお、そんな夫を父を励まさずにおれないのだろう。
もう目も開かず耳も聞こえない恭輔と家族を結ぶのは一冊の文庫本。小林一茶句集だった。
生活者の目線で弱いもの小さなものに目を向けた一茶の句を恭輔は若いころから愛読しており、気に入った句にはしるしをつけている。それを辿りながらもう声を発することのない父の気持ちを慮る。ときには一茶の人生を辿りながらも
雁よ雁いくつのとしから旅をした
この句が話題になるや否や、詩人になりたくて一年間あてもなく旅に出た若い日の次女素子の話が持ち出され、からかわれながらも一家の間に温かいものが流れたりする。 一茶の句にこの家族ならではの新しい意味が加わる。