皇族方は、公務などのために地方や海外を訪問する機会も少なくない。訪れた先で人々とふれあった「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2024年6月2日に掲載した記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
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上皇さまと上皇后美智子さまは5月28日から4日間、私的な旅行として、栃木県日光市を訪れた。上皇さまは戦時中、市内の旧日光田母沢御用邸に滞在し、1年間の疎開生活を送っている。小雨が降るなか、おふたりはひとつの傘に入り、旧御用邸を散策しながら当時の思い出を語りあわれたようだ。
上皇さまと美智子さまは、しっかりと手をつなぎながら、緑に囲まれた庭をゆっくりと歩かれていた。上皇さまは懐かしそうに周囲を見渡し、旧御用邸の前に来ると、おふたりで建物を見上げた。
「あの、お2階で?」
美智子さまがたずねると、上皇さまは右手で2階部分を指し、
「あそこの2階で勉強してね」
と、美智子さまを振り返って説明をした。
国の重要文化財にも指定されている旧日光田母沢御用邸は、1899年に大正天皇の静養先として造営された。106の部屋がある大規模な建物で、1947年に廃止されるまで3代にわたって天皇と皇太子が滞在したご静養地だ。
太平洋戦争末期、学習院初等科5年だった上皇さまは、1944年7月から翌年に奥日光に移るまでの1年間、旧御用邸に疎開。学習院初等科の3年生と5年生の100人ほどの生徒たちは日光金谷ホテルに滞在し、東京大の日光植物園に設置された疎開学級へと通っていたという。