華々しくデビューを飾った者に、雌伏の時を過ごす者。甲子園の土を踏んだ経験も糧にして、“ドラ1”たちはそれぞれに充実のルーキーイヤーを送っている。AERA増刊「甲子園2024」の記事を紹介する。

【写真】世代ナンバーワンの呼び声も高い前田悠伍投手

前田悠伍投手(福岡ソフトバンクホークス)(撮影/写真映像部・松永卓也)
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 1年秋から常勝軍団・大阪桐蔭の事実上のエースとしてマウンドに上がり、早くから世代ナンバーワン投手の称号を得ていたのが前田悠伍だ。甲子園には全国制覇を遂げた2年春から3季連続で出場した。

「濃い2年半を過ごせたと思います。甲子園ではうれしい思いもしたし、同じぐらい悔しい経験もしました。いつも以上に球が走りましたし、変化球も曲がりました。目に見えない力が働くのが甲子園だと思います」

 大阪桐蔭の西谷浩一監督は、前田が下級生のころはたびたび、「前田が打たれたあとにどんなピッチングをするのか見てみたい」と話していた。つまり、それだけ前田の無双状態は続いていた。牽制やフィールディングなど投手に必要な技術も併せ持っていた。ところが、2022年夏の甲子園では準々決勝で下関国際(山口)に逆転の一打を許し、試合後の前田は大粒の涙を落とした。

「1歳上の松尾汐恩さん(現・DeNA)とともに明治神宮大会と選抜で優勝して、三冠を目標に掲げていました。下級生の自分が最後に打たれて負けた光景は今でも脳裏に焼き付いていますし、春夏連覇が自分のせいで潰えてしまったことで、なかなか立ち直れませんでした」

 最上級生となり、主将の責任も背負うことになった。だが、22年秋以降はケガという苦難の道が待っていた。大阪大会の履正社戦で脇腹の肉離れを発症し、だましだましの投球を続けて近畿大会と神宮大会の連覇に成功したものの、翌春には左腕の肉離れも発症した。前田がケガを負っているという情報が駆け巡っていたが本人はかたくなに否定していた。

「自分自身の弱い部分を自分から口にしたくはなかったですね。確かにケガはありましたが、登板しない時期にトレーニングに集中して、一から体を作り直した。決して無駄な時間だったとは思いません」

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