トレンディ俳優はなぜサイコパスなど難役に挑んだのか――。当時のドラマ制作現場について語る三上博史さん(撮影/大野洋介)
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 夏真っ盛りの8月。旅行やレジャーといった外出もいいが、涼しい自宅でゆっくりするのも贅沢な過ごし方。夏休みスペシャルとして、じっくり読みたい人気のエンタメ記事をお届けする(この記事は2023年12月30日に配信した内容の再掲載です。年齢、肩書等は配信時のままです)。

【写真】「モックンの局部を掴んで高笑い」も”実験だった”と三上博史さん

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「君の瞳をタイホする!」(1988年)、「君が嘘をついた」(1988年)、「世界で一番君が好き!」(1990年)など、フジテレビ「月9」をはじめ人気ドラマに出演、端正なマスクで、三上博史さんはかつて“トレンディードラマのエース”と呼ばれた。だが、華やかなラブストーリーから一転、「あなただけ見えない」(1992年)では多重人格者を、「この世の果て」(1994年)では覚せい剤に溺れるピアニストを演じ、強烈な印象を残した。そのギャップに度肝を抜かれた人も多いのではないか。

失敗しても致命傷にならない

三上 僕はあの頃、連続ドラマを実験の場にしていました。例えば、「すごくナチュラルな表現をしてみよう」とか、今回は「超デフォルメをやってみよう」とか、その都度、自分なりにテーマを設けていた。

 なぜかというと、当時、ドラマは残らないものだと思っていたんですよ。今のドラマは前倒しで撮影している作品が多いと思いますが、あの頃は翌週に放送する分を今撮ってすぐ編集してオンエアする、という切羽詰まったスケジュール感が珍しくなかった。

 映画は何年か後に観たら「恥ずかしいな」とか、もしかしたら俳優として致命傷になることもあるかもしれない。けれども、ドラマはその場で終わり、消えていくもの。だから、実験して、たとえ失敗しても致命傷にはならないと考えていました。

 例えば、三重人格者を演じた「あなただけ見えない」では明美という凶暴な女性の人格が、もっくん(本木雅弘)の局部を掴みながら高笑いするシーンがありました。ああいった芝居も実験だと思って完全に割り切ってやっていた。

ドラマは「実験場」で「致命傷にならない」と思っていた、と語る三上さん(撮影/大野洋介)

スタッフと一緒に「悪だくみ」

――かつてのドラマは演技の実験場の側面があったのだという。確かにそのスピード感であれば、さまざまなことができそうだ。

三上 一緒に「悪だくみ」をしてくれるスタッフがたくさんいたことも大きい。野島伸司さんが脚本を手掛けた「君が嘘をついた」の撮影中、放送する度に視聴率が上がっていたこともあり、プロデューサーの大多亮さんから「三上は最近何に興味があるの?」って聞かれました。僕は民放のドラマで実現するわけがないと思ったけど、「『ベティ・ブルー(愛と激情の日々)』(1986年のフランス映画)のような作品」と答えた。それで「この世の果て」というヒリヒリとした恋愛ドラマが生まれたんです。

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