映画『キングダム 大将軍の帰還』が盛り上がりを見せている。映画では、吉沢亮さん演じる秦王の嬴政(えいせい)と、山崎賢人さん演じる主人公・信ら将軍たちとの信頼関係も描かれている。
映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは著書『始皇帝の戦争と将軍たち』の中で、「秦王嬴政と近臣たちには、強い連帯の絆があった」と指摘する。
新刊『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。
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はじめに
中国史上最初に巨大な帝国を築いた秦の始皇帝の出発点は、一三歳で秦王に即位したことだった。始皇帝は最初の二六年間は秦王として、その後の一一年間は皇帝として君臨し、死後にはじめて始皇帝と呼ばれた。
同時代の近臣たちは、秦王に対しては「大王」、皇帝に対しては「陛下」あるいは「上」と呼びかけていた。
本書では、秦王嬴政をめぐる近臣たちを、あえて近臣集団と呼ぶことにする。多くの臣下のなかで、直接、「大王」、「陛下」、「上」と呼び、対面することができたのが近臣たちであった。
秦王始皇帝は為政者でありながら、彼には近臣たちの意見を聴く柔軟性があった。
将軍王翦(おうせん)は楚への出兵を前にして、秦王に「大王の将為りて、功有るも終に封侯を得ず」と述べた。大王の将軍であれば軍功を得て領地を得られるはずであると訴えたのである。
丞相王綰(おうわん)は遠方には秦王の諸子を王として置いて治めるべきことを提案し、「諸子を立て、唯上のみ幸いに許されんことを請う」と言った。郡県制ではなく封建制を主張し、異論として受け入れられている。
暴君と評されることがあるのは、晩年四七歳のときの焚書令や、四八歳のときの坑儒、また四六歳のときの長城の建設以降の始皇帝の政治評価であると思う。思想統制をして言論を抑えて学者を穴埋めにし、民衆を酷使して万里の長城を建設する。すべて始皇帝晩年の政策であった。
中国を最初に統一したのは、秦王嬴政であった。しかし当然ながら、統一は嬴政一人では実現しなかった。