嬴政をめぐる近臣集団がいかに君主を支えてきたのか。同時に近臣に有能な文官、武官がいても、その能力を引き出す才能は秦王始皇帝に求められた。

 近臣の側にも集団として連帯し、君主を支えていこうとする意識がなければ、かれらの力も存分に発揮できない。秦が戦国七雄のなかで最後に残り得た理由は、秦王嬴政と近臣集団の強い連帯の絆にあったと思う。

 『趙正書』のなかに、最晩年の秦王が丞相の李斯に対して発した興味深いことばが見える。「自分が亡くなった後に、大臣たちが争い、わが子の主君の地位を侵そうとするのは、たえられない。『牛馬が闘ったら蚊や虻(あぶ)がその下に殺される』ということばにあるように、大臣が争えば、斉民(人民)は苦しんでしまう」

 大臣の連携がなくなれば、結局人民が苦しむというのである。始皇帝は実際、生前には大臣をうまく制御していた。大臣の意見に冷静に耳を傾け、異論も排除しない。そうした始皇帝を大臣たちは信頼し、誠意を示すような関係性を築いていたのだろう。

 本書の執筆の目的は、秦の始皇帝がどのように近臣集団を組織して天下を統一できたのかを明らかにしていくことにある。始皇帝が、戦国の一人の王として、どのように国内外の人々と人間的な絆を築いていったのか、挫折も繰り返しながら、その帰着として統一にたどり着いたことを明らかにしていきたい。

 筆者はこれまでも人間始皇帝の五〇年の生涯を追い続けてきたが、ここでは一三歳で秦王に即位し、三九歳で天下を統一するまでの戦争と外交の歩みをふりかえってみたい。

《朝日新書『始皇帝の戦争と将軍たち』(鶴間和幸 著)では、李信、騰(とう)、羌瘣(きょうかい)、桓齮(かんき)、李牧(りぼく)、楊端和(ようたんわ)ら名将軍たちの、史実における活躍を詳述している》

始皇帝の戦争と将軍たち 秦の中華統一を支えた近臣軍団 (朝日新書)
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