今年8月1日で100周年を迎える阪神甲子園球場。高校球児の夢の舞台であり、熱狂的なファンを持つプロ野球・阪神タイガースの本拠地だ。大学アメリカンフットボールの聖地でもある。歴史を振り返った。AERA 2024年7月29日号より。
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甲子園球場は、なんとも不思議な空間だ。
「そこには昔の少年たちがいる」と語ったのは、イラストレーターの山藤章二さんである。
「損得抜きで何かに夢中になる。自分の可能性に体ごとぶつかっていく。甲子園の少年たちには、時代を超えた『少年道』というべきものが、脈々と伝承されている」
1998年夏の第80回全国高校野球選手権記念大会を観戦しながら、そう相好を崩した。
確かに、ここには「昔の少年たち」が集ってくる。沢村栄治、藤村富美男から太田幸司、荒木大輔、松井秀喜、松坂大輔、田中将大、大谷翔平……。
幾多のヒーローがここで輝き、白い歯を見せ、汗や涙をぬぐった。長い顔、丸い顔、シュッとした顔。姿形は違っても、彼らは、どこか懐かしいにおいをまとっている。
「郷土意識とも相まって、人は高校野球に接すると、あの多感な青春時代に、一瞬のうちにプレーバックするんです」
そう話したのは長嶋茂雄さんだ。2002年夏の第84回大会の決勝戦を観戦した。
「この大会が8月にあることもポイントなんですよ。旧盆がある。終戦記念日がある。その中で平和をかみしめながら、甲子園大会が行われる」
阪神甲子園球場が8月1日、生誕100周年を迎える。
現在の全国高校野球選手権大会が第10回大会を迎えた1924(大正13)年、その開催球場として建設された。大会人気の高まりにより、それまでのグラウンドでは手狭になったためだ。
東洋一のマンモス球場
「東洋一のマンモス球場」と呼ばれた収容人員5万人の甲子園大運動場だが、大会第4日の土曜日に早くも満員となったという記録が残っている。
同年に始まった選抜大会も翌1925年から会場を移し、以降は野球少年たちの憧れの場所となっていく。