清瀬駅の南口には立体ボードが!「ようこそ清瀬市へ」の中森明菜の直筆メッセージがお出迎え 撮影/太田裕子

 中森明菜は、東京都大田区で生まれたが、清瀬市で育ち、同市内の小中学校を卒業。デビュー直後には、ファンが市内の実家や母親が経営していた喫茶店にまで訪れていた。

「明菜といえば清瀬」なのだ。
 

 メッセージボードの設置が延長になったことで、誕生日にあわせてやってきたというのは、埼玉県の50代女性だ。

 当時は『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』といった歌番組を欠かさず見て、『明星』『平凡』といった雑誌も毎月購入。ファンクラブにも入り、コンサートにも何度か出かけた。母親が経営していた喫茶店にも行ったことがあるという。

「喫茶店には、明菜さんが受賞したトロフィーや写真が飾ってあってありましたね。当時の明菜さんの実家にも、自転車を一生懸命こぎながらたどり着いて、ただ見て帰ってきました。

最近はYouTubeで80年代の映像を見られますが、本当にカワイイですよね。いまの歌手にも上手な方はたくさんいるんだけど、違うんですよ。なんか、違うんですよね」
 

中学生のころ「実物」を見て衝撃

 13日の清瀬駅には、熱量の高いファンが次々と集まってきていた。

 夜勤を終えてそのまま、広島県から駆けつけてきたという50代女性は、中学3年生のときにファンクラブの会員に。中学生のとき、抽選で当たったライブで初めて「実物」を見て、その衝撃が今でも忘れられないという。

「『なんでこんなかっこいい人がいるんだろう』っていう第一印象から、いまだにその思いが続いています。『かっこいい! こんな女いるんだ!』って衝撃を受けた。本当に明菜さんの魅力はすごいので、心奪われる迫力であったり、その世界観であったり、ハマってここまできました」
 

 この女性は清瀬駅で、同じ広島県に住むファン友と合流。ファン友は「奇跡が起きた」と話す。

 数日前に父親が危篤になり、病院から呼び出される事態に。13日のイベント参加も諦めていたが、父の体調が奇跡的に回復したという。

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