山々に囲まれた温泉宿に来た三姉妹と母親。長女・弥生(江口のりこ)は次女・愛美(内田慈)が選んだ宿に文句タラタラ。母親への愚痴もとまらず一触即発の二人を三女・清美(古川琴音)がなだめている。が、清美が用意したサプライズがさらに波紋を呼び──!? ペヤンヌマキによる同名舞台を脚色した「お母さんが一緒」。橋口亮輔監督に本作の見どころを聞いた。
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ペヤンヌマキさんの舞台は観ていましたが、実はこの作品は観ていないんです。でもこの原作をまずドラマにし、それを映画にするという話に興味を持ちました。イメージにあったのは向田邦子さんのエッセイです。何げない日常からはじまって「あるある」とうなずけて笑えて嫌な読後感が残らないのに適度な重さが読み手にフッと乗っかってくるような。人間像をより膨らませるために3割ほど僕のオリジナルが入っています。
僕自身は一人っ子だし、自分の母親や家族を重ねたということはないのですが「30分が限度だわ、あの人(母親)とサシは」のシーンには多くの女性が「わかる!」と言ってくださいますね(笑)。「あるある」の琴線を生むには観る人の心に釣り針をクッと引っかけないといけない。そのためには「生(なま)」がないとダメなんです。役を「生きている人」にするためにリハーサルで俳優とたくさん話をしました。例えば江口のりこさん演じる弥生がメガネの鼻あて部分にティッシュを挟んでいて「言ってよ〜!」というシーンは脚本にはなく、僕が喫茶店で見た光景を話したことから生まれたものです。
この姉妹はけっこうすごいことを言い合ったりしますが、それは一線を越える瞬間を作りたかったから。他人同士なら「それ言ったらおしまいだろ」という一線を、家族ってやすやすと越えてくるじゃないですか。でも不思議なもので家族って受け止めて消化する弾力のようなものがあって、簡単にバラバラにならないんですよね。
本作を観た方は必ず自分の家族の話をしてくれるんです。「うちも祝い事の場で必ずもめ事が起こるけど、翌週にはペロッとなかったことになってる。なんなんでしょうね、あれ」みたいな(笑)。琴線に触れたのかな?と嬉しいですね。
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2024年7月22日号