北原さんが視察したイギリスの中絶クリニックに設置された案内板(北原さん撮影)

 なにこれ……メモを取るのも忘れ、ボーッと2人の会話を聞いていると、助産師が「じゃ、エコーで確認しましょう」と爽やかな調子で女性を促した。広々とした診察室の片隅に、カーテンに囲まれたベッドがある。慌てて、あ、すみません、エコーの最中私はどこにいれば……とおろおろしていると、「彼女(←私)にも見てもらっていい?」と助産師が女性に確認してくれ、「もちろん、だいじょうぶ」と女性も何でもないよ〜というトーンで伝えてくれ、私は助産師の背後からエコー画面を見ることになった。黒い画面に浮かび動く白い影を見ながら、助産師が手際よく胚のサイズを確認し、データを打ち込み「妊娠6週ですね」と女性に伝えている。それから助産師は女性に向き合って「今日、薬を処方できます」と爽やかな声で明るく伝えるのだった。

 妊娠週数によっては薬の種類を変えたり、吸引処置やD&E(頸管拡張及び子宮内容除去術)が必要だったりすることもある。だからこそ、病院にとって必要な情報は、正確な妊娠週数と女性の意思確認であって、彼女の価値観や人生や人間関係ではない。また、見知らぬ者をその場に立たしても良いと患者も助産師も考えるほどに、「今ここで行われていることは当たり前の女性の権利」という意識が根底に力強くあるのであった。

 女性の意思が最優先で守られる。その当たり前のことに、私は激しく動揺した。診察室にいたのは10分もない。見知らぬ女性の決断が行われる場。その温かさに激しく動揺し、私は彼女たちにきちんとお礼を言えたのかどうか、、、覚えていない。

 BPASから帰って数日後、名古屋で30代の女性が暮らしていた部屋から2人の乳児の遺体が見つかり、女性が逮捕されたというニュースが流れた。彼女がどんな生活をしていたのかはわからない。それでも、と思わずにはいられない。もし彼女が、あの診察室に入れていたのならば。もし、彼女がそこで自分の決断を、優しく聞いてもらえていたのならば。ここが、そんな国だったのならば、と。

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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