大学受験で1年浪人し、同志社大学商学部へ。空白期ができた野球はやらず、学生生活を楽しんだ。就職では、大学時代を無為に過ごした感じから、厳しく試される会社を選ぶ。野村証券は、社員たちが社員章の図柄をもじって「ヘトヘト証券」と言うほど厳しい、と聞いた。

 最初の配属先は広島支店。入社式と1日だけの研修後、赴任するとすぐに新規の客の開拓に回らされる。なるほど、と思うスピード感だ。当時の営業部隊は50人近く、課がいくつかあり、課長以下8人のグループにいた。4年間いて、広島ではその課長との出会いがすべて、と言える。しごかれたが、面倒もみてもらった。典型的な例が、入社5カ月目の8月に開拓できた事業主に案内した国債の先物取引の処理だ。

 金利の低下傾向のなか、有望にみえた国債の先物を9月に買ってもらう。ところが、直後に世界の経済史に残る出来事が起きる。「プラザ合意」だ。米英仏独日5カ国の蔵相がドル高の修正で一致し、日本銀行は円高・ドル安へ誘導するために金利を上昇基調へ転じた。国債の相場も金利が上がって価格が下落し、先物価格も急落した。相手は大きな損が出て、課長が一緒にいって謝罪してくれた。

野球も証券取引も大事なのは基礎営業の形が固まった

 高校野球は基礎的な練習の積み重ねが大事で、証券取引でも同じ。そこから債券先物を勉強して基礎知識を習得し、金利動向を左右するマクロ経済の動きにも視点を築いていく。勉強をして備えを身に付ける森田流営業の形は、このとき固まった。

 2017年4月に野村証券の社長に就任すると、またも溜まった思いを社内報に「支店にお願いしたいこと」として書く。伝えるべきことは、短い言葉でいいから、連呼した。『源流』を生んだ野球部のキャプテン時代に言い続けた「やろうぜ」の言葉と、重なる。

 2021年6月に社長を退任し、翌月に日本証券業協会の会長になった。今度は「貯蓄から投資へ」の動きを促す役だ。ことし1月、資産形成型の証券投資で得た利益への新しい少額投資非課税制度「新NISA」が始まった。その仕組みや利点を、投資を考える人々に、伝えなくてはいけない。

 野村証券時代、部下に「あなたの欠点は、自分ができることは、みんなもできると思っている点だ。何かあるとしつこく連呼し、ずっと言い続ける」と言われた。でも、これは、新NISAでも続ける。高校野球から生まれた『源流』からの流れは流域を広げて、勢いを増す。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年5月27日号

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