ジョン・レノンとオノ・ヨーコが別居していた1973年からの18カ月間。「失われた週末」と呼ばれるその間、ジョンは10歳年下の恋人・中国系アメリカ人、メイ・パンといた。そのとき何があったのか。メイ本人、そしてジョンの息子ジュリアン・レノンが貴重な映像とともに語るドキュメンタリー「ジョン・レノン 失われた週末」。俳優のメイ・パンさんに本作の見どころを聞いた。
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監督の一人、イヴ・ブランドスタインから映画化を持ちかけられたのは25年前です。回顧録に基づく構想で、私は「時期尚早だ」と言いました。その後、私たちは友達になり、昨年イヴがドキュメンタリーという言葉を使ったとき私は「それだ!」と思いました。
ジョンと私は18カ月にわたって正式に交際し、愛し合っていました。この期間はジョンがソロ活動のなかで最もクリエイティブで成功していた興味深い時期です。その場にいた人間としてテレビ番組などで自分が見たことを語ってきました。でも結局、誤解されるのです。お金のためにテレビに出たわけではありません。でも人は自分が見たいものだけを見たいと思うのです。いま自分のなかでも時が経ち、この物語を正しく知ってもらう時が来たと思っています。
ジョンはものすごく好奇心の強い人でした。でもビートルズという枠に閉じ込められ、朝食も自分で自由に選べないような状況でした。私と一緒にいるときは自由に人生を楽しむことができていたと思います。私とヨーコとの関係についてもよく聞かれます。それは腹の立つこともあります。でも悔しいとか苦々しいとか思い続けても何もいいことはない。私には子どもも友達もいる。他にやるべきことがある。前を向いて別のことを見つけようと努めてきました。
私は中国系移民として生まれ、スパニッシュ・ハーレムで育った「マイノリティー中のマイノリティー」です。いまこの物語を知った若い女性たちから「あなたはあの状況でよく自分を失わずにいられた。尊敬するし、自分もそう生きたい」と言われることが本当に嬉しいんです。いまも女性たちにはいろんな問題がある。私の物語が少しでも誰かの役に立つならば、こんなに幸せなことはありません。
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2024年5月20日号