松下洸平さん直筆の連載タイトルロゴ
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松下 そんなきっかけもあったんですね。

天海 中学を卒業後、高校2年で中退して宝塚音楽学校に入るまで、通っていたバレエ団の宝塚受験クラスに在籍して、いろんなことを教えてもらいました。宝塚の公演も演目が変わるごとに観に行くようになってね。当時、東京宝塚劇場は3階席が900円だったの。レッスンが終わったらみんなで観に行って、ああ、すごい世界だな、と。

松下 入団されて、トップも務められました。

天海 1987年に宝塚に入団し、月組トップスターになったのは93年です。「異端児」とよく言われてましたし、自分でもそうだなと思っていました。トップになるまでの段階は一応踏んでいるけれど、「男役10年で一人前」と言われていたので、ちゃんと年輪を重ねた男役さんではないということは自覚していました。

 当時は、なぜ自分がこういう立場に置かれているのかをすごく考えてましたね。上級生たちに比べて、私はバババッときてしまっているから経験がない。だけど、トップに置いていただいたということは、上級生たちと自分の持ち味が違うからだろう、と。そう思うしかないよね。上級生が身につけているものが自分にはない。だったら新鮮に、若いままでいくしかない。これを、ひとつの取り柄にすればいいんじゃないかとは思っていました。そう思うことで自分を支えるというか。

松下 そこで「自分は特別なんだ」と思われなかったんですね。

天海 そんなこと全然思わないよ! すごい上級生たちが本当にたくさんいらっしゃる中で、私はたまたま居させてもらっただけだとずっと思っていました。

 よく女優への足がかりとして宝塚に入ったんだろう、と言われることがあるけれど、いやいや、その程度の思いだったら、もっと早くやめてます。自分のいた世界に尊敬や愛情がない限り、自分の一番いい青春時代をかけて頑張ることなんてできないですよ。

 私があまり宝塚のことを話さないのは、あまりに自分にとって大切なものだからということもありますね。話すことによって、大切な思い出が薄まるような気がして。

松下 それは、なんだか少しだけわかるような気がします。

 天海さんの周囲に感謝する精神と礼儀を重んじる姿勢を、僕はすごくリスペクトしていて。本番前、天海さんはいつも「よろしくお願いします」と言われる。そんな方、見たことないです。

天海 ああ、言いますね。現場を支えてくれている、例えば小道具を作ってくださったスタッフとか、その場にいない方へも頑張ってきます、という気持ちでね。自分にももちろん言い聞かせているけど。

松下 本当に素敵なことだと思います。僕は、その言葉を聞くたびに感動しています。

(構成/編集部・古田真梨子)

※この対談の続き(全4回)は下記に掲載しています。
第2回:AERA 4月3日増大号(3月27日発売)
第3回:AERA 4月10日増大号(4月3日発売)
第4回:AERA 4月17日号(4月10日発売)

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古田真梨子

古田真梨子

AERA記者。朝日新聞社入社後、福島→横浜→東京社会部→週刊朝日編集部を経て現職。 途中、休職して南インド・ベンガル―ルに渡り、家族とともに3年半を過ごしました。 京都出身。中高保健体育教員免許。2児の子育て中。

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