春名陽介(はるな・ようすけ)/1980年、広島市生まれ。6歳の頃、初めて店舗でお好み焼きを食べる。99年、オタフクソース入社、お好み焼課に配属。2019年から現職。週に5枚ほどお好み焼きを食べている(撮影/編集部・井上有紀子)

 それにしても広島の人はどうしてお好み焼きが好きなのか。春名さんも街でお好み焼きを食べたくなる瞬間は、ソースのにおいをかいだ時だ。

「反射みたいな感じで、お好み焼きがすごく食べたくなります。広島の人のDNAにお好み焼きのにおいが組み込まれているんじゃないでしょうか」

 1980年生まれの春名さんが幼い頃、どの町にも、小さなお好み焼き店が数軒あった。初めて店に行ったのは6歳で、父親と2人きりでの初めての外食でもあった。

 父親が「いつもの」と注文すると、店の人は「春さん、いつものね」と返した。

「『いつもの』で通じるんだって、衝撃的でした。大人の世界に触れたと思いました」

 それからも、屋台のような小さな店で、「おばちゃん」に焼いてもらい、友達と食べた。

「その店に行けばおなかいっぱいになって、楽しい時間が過ごせるんです。広島の人には誰しも、お好み焼きの思い出が色濃くあるんだと思います」

 亡くなった春名さんの祖母が春名さんが焼いたお好み焼きを最後に食べたいと言った。

「お好み焼きは、戦後の復興とともに、広島に根付いてきました。平和を象徴する食べ物とも言われています」

 戦後、焼け残った鉄板と七輪を使って、米国からの食糧支援のメリケン粉を薄く溶いて、その上に食べ物を乗せて焼いて、みんなで分け合った。

「生活が豊かになるにつれ、肉や麺、卵と具材が増えて、今のお好み焼きの形に近づきました。きっと悲しみを乗り越えるときに、お好み焼きが心の支えになったのではないでしょうか」

 よし、今夜もお好み焼きを食べよう。(編集部・井上有紀子)

AERA 2024年4月22日-5月6日合併号

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