今シーズン、メジャーで2年ぶり4回目の開幕投手も務めたダルビッシュ有。今や世界トップに君臨する投手のひとりになったが、どのような家庭で育ったのか。母・郁代さんと末弟の賢太さんが、家族について語った。AERA 2024年4月22日号より。
【貴重写真】家族で旅行した際の写真。後列中央にいるのがダルビッシュ有さん
※記事前編<<ダルビッシュ有の母が語る子育ての試練 次男が荒れ、「一緒に死ぬしかない」思い詰めた過去も>>から続く
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現在、NPO法人を設立して、子どもの居場所づくりや国際交流の支援をしている郁代さんがこれまでの子育てを通して、息子たちに授けてきたのは「自分で判断する力」だ。
有が保育園に通っている頃のこと。空手を習わせてみたら、道場の玄関で毎回大泣きされ、すぐにやめさせた。嫌なことをさせられると表情がこわばることに気づいた。子どもに無理強いして何かをやらせては絶対ダメだと肝に銘じた。
有は小学2年生で軟式野球チームに入団。4年生になってスパルタの監督に代わってから練習時間が一気に増加した。叱られ続けたこともあり、毎日のように「野球、やめたい」と言い始めた。何かをやめたいと言う子どもに対し「一度始めたことは最後までやり通せ」と親は言いがちだが、郁代さんは「やめてええよ」と答えた。常に「こうしなさい」と頭ごなしに言わず、「有はどうしたらいいと思う?」と問いかけた。
「やめたい」「やめたら」「う~ん」。そんな会話の繰り返しのまま6年生になった。ポジションは捕手。キャプテンにもなったため、野球をやめるにやめられなくなった。小学校6年の最後までやり通したものの「野球はきらいになっているな」と母は感じていた。その読み通り、有は「中学に入ったら他のことするわ」と言ってきた。中学校の部活動一日体験ではバレーボール部を選んだ。170センチ近い6年生は引っ張りだこだった。有には「自分で考えたようにしなさい」と告げた。
ところが、春休みに駄菓子屋で会った他校の野球少年から「おまえ、何やってんだ。はよ(練習に)来いよ」と言われ、クラブチームを見学。「あのチーム入るわ」と自分で決断し、野球を続けることになった。そして今年、プロ20年目を迎えた。