海外ではカルチャーとして定着している国も多いイレズミ(タトゥー)。
現代日本ではタブー視されることが多いものの、最近ではタトゥーをモチーフにしたタイツやボディーシール、アクセサリーなどが人気を集めています。
その一方で、温泉地などでは、タトゥーがある外国人への対応に頭を悩ませているケースも多いようです。
時代や文化、宗教と深く結びついたイレズミは、奨励されたり、逆に禁じられたりといった歴史を繰り返してきました。
──世界の、そして日本のイレズミの歴史をひも解きます。

古代からあったイレズミやボディーペインティング。写真は染料(ヘナ)によるタトゥー
古代からあったイレズミやボディーペインティング。写真は染料(ヘナ)によるタトゥー
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かつて、世界中に豊かなイレズミ文化があった

何らかの方法で皮膚に傷をつけ、色素などを注入するイレズミ(タトゥー)。古代の人びとが、地位や所属などを伝えるために行ったのが由来といわれます。
「魏志倭人伝」には、当時の日本に暮らしていた人びとがイレズミをしていたらしい記録がありますし、イレズミまたはボディーペインティングを思わせる、装飾を施した埴輪も出土しています。
古代ヨーロッパ、古代エジプト、イスラム世界やヒンドゥー世界、太平洋諸島……多くの地域で、人びとがイレズミをしていた記録や、考古学的な史料が残っています。
成人するための通過儀礼として、民間治療やおまじないとして、あるいは宗教的な行為として……イレズミはさまざまな役割を果たしていたようです。
また、プラスの側面だけでなく、刑罰としてイレズミをする習慣も始まっていました。

外国人観光客の増加に伴い、温泉地や入浴施設では対応に迫られているそう
外国人観光客の増加に伴い、温泉地や入浴施設では対応に迫られているそう

勇敢さの象徴として、お守りとして……日本の文化とイレズミ

古代日本では、どうやら一般的だったらしいイレズミ。しかし、奈良時代以降、その習慣は失われ、次にイレズミの記録が史料に現れるのは、近世になってからです。
戦国時代の武者が交わした義兄弟のイレズミ、恋する二人が施した「入れぼくろ」など……。
江戸時代以降になると、飛脚や駕籠かき、鳶(町火消)などの人びとが盛んに「彫り物」をするように。勇敢さや威勢のよさ、強靭な肉体を表現したのだそうです。
江戸っ子の価値観から、他人から見える位置に入れるのは「野暮」だとされていたようですし、やくざと呼ばれる人びとや、遊女などの間にもイレズミは広まっていました。
実用的な側面から、イレズミを入れる習慣もありました。
たとえば、東北地方や南西諸島には、漁に出る人びとを中心に、海難事故の際に身元確認ができるようイレズミを入れた習慣や、九州などでは関節の治療として、手首にイレズミを入れる習慣があったといいます。
さらに、「病気にならないように」「無事にあの世に行けるように」「結婚したことの印に」などのさまざまな願いをこめ、女性を中心にイレズミの伝統があり、人びとは顔や手の指などにイレズミをしていたのはアイヌや琉球の人びと。
こうしてみると、イレズミは、土着文化的な側面が強く、さまざまな背景と歴史があることがわかります。

近代化に伴い、急速に価値観が変わった?

明治維新を迎え、日本が「欧米化」に向かって歩みはじめると、イレズミをとりまく状況も変化していきます。
イレズミや彫り物は諸外国に対して「恥」であると考え、「文明国になるために」それらを取り締まり始めた明治政府。生活の近代化が進むとともに、彫り物をした人の数は急速に減っていきました。
同様に、アイヌや琉球のイレズミも厳しく規制され、イレズミをした人は差別を受けるように……。
それまで「美しいもの」「欠かせないもの」だったイレズミが、社会的に否定されることで「醜いもの」「恥ずべきもの」と変化していったのです。なかには、ハジチ(イレズミ)をした琉球の女性が、就職や結婚をしにくくなる、といった事例もあったそうです。
19世紀末から日本の統治下におかれた台湾にも、多くの民族にイレズミの習慣がありましたが、同様に規制され、その習慣は急速に失われていきました。

なぜ、海外ではタトゥーが広まった?

現代の欧米におけるイレズミ(タトゥー)文化のルーツは、人びとが船で太平洋を行き交うようになった18~19世紀にある、といわれています。
太平洋の島々もまた、豊かなイレズミの伝統を持つ地域です。その証に、「タトゥー」という単語は「皮膚に傷をつける」という意味のタヒチの言葉に由来しているそう。
「寄港の記念に」「身元確認用に」と人びとはタトゥーを入れ、それがヨーロッパ各地に広まりました。1970年代ごろからは、タトゥーはアートやファッションと結びつき、デザインも洗練されるように……。
こうして、多くの人が気軽にファッション感覚で、タトゥーをするようになっていったのです。
イレズミのない体こそが「近代的」とし、「文明国になるために」明治日本が禁じたイレズミ。
しかし皮肉なことに、日本を訪れた欧米人たちはイレズミを「エキゾチックで魅力的」だと感じたようで、英国の王子やロシアの皇太子などが、日本訪問の記念にイレズミを施した、との記録が残っています。
「髪のカラーリング」「ピアスの穴をあける」など、かつて日本社会では抵抗が強かったり、タブー視された行為も、時代とともに人びとの意識は変わり、一般的になっています。そういう意味では、タトゥーは今後どうなっていくでしょう。
タトゥーに興味がある人も、そうでない人も、その歴史や文化的背景、意義などについて考えることが大切なのかもしれません。
参考:山本芳美「イレズミの世界」、小野友道「いれずみの文化誌」

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