宮城県丸森町を訪問した際も、自衛隊のヘリコプターで福島県の本宮市へと移動。ヘリの発着は現地の中学校のグランドが使用された。
安達太良川の堤防が決壊した現場を訪れたおふたり。市街地は水没し、7人の犠牲者を出していた。
雨脚は強まり、すでにあたりも暗くなっていた。橋のそばにある保育園が屋根まで浸水したことなど、おふたりは何度もうなずきながら、説明に耳を傾けた。
「お亡くなりになられた方々に黙礼を捧げさせてください」
陛下と雅子さまは、犠牲者が出た市街地の方向に向き直り、祈りを捧げた。
おふたりの祈りは、皇太子時代から被災地に足を運び、人びとの対話を重ねることで積み上げてきたものだ。
特に陛下は、東宮家の長男として誕生した瞬間から、天皇への道が示されていた存在。それだけに、まだ10代のうちから人びとへの寄り添うという覚悟を持って歩んでいたようだ。
学習院高等科時代から青年期にかけて、天皇陛下の友人として過ごしたアンドルー・B・アークリーさんは、かつて記者にこんな話をしたことがある。