秋晴れの空のもと気温が高くなる日があるかと思えば、北風が吹きはじめ、朝に晩にぐっと冷え込むようになりました。新暦10月28日から11月1日は、七十二候で≪霎時施~こさめ ときどきふる~≫。ふいにわびしさを誘う雨が降ったり、青空がのぞいたりするころですが、一雨ごとにどんどん気温が下がります。秋は美しく粧いながらいっそう深まりゆき、季節は確実に冬へと向かってゆくのです。

≪霎時施≫の《霎》。「こさめ」と読むか、「しぐれ」と読むか…

今年も早いもので、一年を5日ごとに分けた時侯「七十二候」も53番目の「第五十三侯」≪霎時施≫となりました。
漢詩による時侯告知といえる「七十二候」ですが、もともと中国華北地方で作られ伝来したものだとか。実際に用いるには季節の差異があるため、日本の風土にあわせ幾度か改名され、その読み方も変わってきたようです。
≪霎時施≫を例にとっても、中国伝来のものを殆ど踏襲した宣明歴では「草木黄落(そうもくこうらくす)」。江戸時代に渋川春海が改正した貞享歴では「蔦楓紅葉(つたもみじこうようす)」。宝暦歴・寛政歴では「霎時施(しぐれときどきほどこす)」。そして、明治期の略本歴では「霎時施(こさめときどきふる)」と、時を超え今に伝わっているのです。
「しぐれ」とも「こさめ」とも読まれている≪霎≫。この字を新潮日本語漢字字典でひもとくと……「小雨」、「ひとしきり、しばらく」。「霎々(しょうしょう)」とは雨の音、また風の音。「霎時(しょうじ)」とは、少しの間、短い時間という意味合いとなっています。

晩秋から初冬にかけての通り雨「時雨(しぐれ)」。10月の別名もまた「時雨月(しぐれづき)」

そこで思い当たるのが、晩秋から初冬にかけて、降ったりやんだりする小雨、「時雨(しぐれ)」のこと。晴れていたかと思うとさっと降り、傘をさす間もなく青空が戻ってくる通り雨。
この時期やってくる大陸からの冷たい寒気が日本海や東シナ海との温度差により暖められることで、次々と細かい対流雲が発生。このため、晴れたり、曇ったり、断続的な雨(ときには雪)がしょうしょうと降るのです。
「初時雨」は、野山も人も冬支度を始めだすという自然のサインなのですが、時間帯によっては「朝時雨」「夕時雨」「小夜時雨」とも呼ばれています。ひとしきり強く降っては通り過ぎてゆく「村時雨」、ひとつところに降るのは「片時雨」、横なぐりに降るのは「横時雨」。10月を表す和風の月名「神無月」の別名の中にも「時雨月」があります。
野原一面をおおう露も「露時雨」となり、やがて霜となるころ。
雨が降るたび1度気温が下がることを「一雨一度」とも言い、つるべ落としの寂しさのなか肌寒さが増し、冬へ冬へと近づいていきます。

芭蕉の忌日の別名は「時雨忌」。もみじ葉を色づかせ、散らす雨、「時雨」

~夕されば雁の越えゆく龍田山四具礼(しぐれ)に競ひ色付きにけり~
~たつた川もみぢばながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし~
万葉集や古今和歌集に詠まれるように、紅葉の葉を色づかせ、また散らす時雨。時雨が降るたび、ぐっと気温が下がって染まり色づく錦繍の野山の紅葉も、時雨によって、はらはらと散ってゆくのです。
~神な月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬の始なりける~
また、降ったり、降らなかったりする不安定な時雨本来の気候を、人の世の浮き沈みになぞらえた歌も数あり、「時雨」はかの芭蕉が好んで詠んだ句材でもあったと聞きます。
~旅人と我名呼ばれん初時雨~
陰暦10月12日に没したという芭蕉の忌日「芭蕉忌」の別名も「時雨忌」。時雨が降りそうな空模様を表す「時雨心地」は、涙が出るほどにやるせない、心もようのことでもあります。どこかうら寂しく、人生のはかなさすら感じるこの時節はまた、さまざまなことを振り返り、思いを馳せるときでもあるのでしょうか。

しぐれどきの空の様子を表した風雅な和菓子「黄身時雨(きみしぐれ)」

降られると、なんだかしんみりとわびしくなりがちな時雨ですが、いわゆる通り雨。やがて雲の亀裂から、うっすらと太陽の光がもれるように晴れていきます。
そんな空模様を写した「黄身時雨(きみしぐれ)」もまた、日本ならではの情緒漂う和菓子です。
黄身餡(きみあん)で白餡を包み、丸くお饅頭の形にして蒸すと、表面に入るヒビ。このヒビを、雨の後に雲の間から降り注いでくる太陽の光に見立てた趣が魅力。口の中でほろほろと甘さが広がるお菓子を味わえば、しばしもの寂しさも忘れてしまうかもしれません。
もう来週には訪れる霜月、11月。
年賀はがきも発売され、読書週間も始まり、深まる季節とともに夜が長くなってきました。
冬支度をお早めに、どうぞ暖かくしてお過ごしください。
※参考&出典
現代こよみ読み解き事典(柏書房)
季語百話(高橋睦郎/中公新書)
空の名前(高橋健司/光琳社出版)