コンビニ店数の約3倍近い数、約16万基もの古墳が国内には存在する。その種類や造営方法など、古墳見学を楽しむハウツーを伝授する基礎講座を5回にわたってお届けする。 最終回の第5回は鮮やかな壁画が人気の「壁画古墳」について。
古代人の思いが込められた
装飾や壁画には何が?
古墳のなかには、石室内に鮮やかな壁画や装飾が描かれたものがある。まず壁画で有名なのが、奈良県明日香村にある高松塚古墳とキトラ古墳だ。
高松塚古墳の壁面には四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)および男女の群像が、じつに色鮮やかに描かれている。またキトラ古墳には天文図、十二支像、四神の壁画が残っていた。いずれも大陸文化の影響を強く受けた壁画で、壁画古墳と呼ばれている。ただ、この2つの古墳は古墳の装飾のなかでも例外的なもので、装飾古墳とは系統が異なる。どちらも古墳時代の終末期(7世紀後半から8世紀初頭)にかけて描かれたとみられる。
では、装飾古墳とは何だろうか。成立は先の壁画古墳よりも古い5世紀であり、当初は石棺の蓋や側面などに、装飾が見られた。それが、次第に内部の壁面に絵や文様が描かれるようになる。図文には刀や弓、楯や靫といった武器・武具や人物や船や鏡、遅れて鳥や魚や木葉なども描かれたりする。最初は彫刻で浮彫りされ、彩色は赤色顔料だけが使われていたが、6世紀以降は彩色だけで文様が描かれた。彩色は赤・黄・緑・青・黒・白があり、古墳によって使われる色の数は異なる。こうした文様は時代が進むごとに色彩も豊かなものになっていった。福岡県の王塚古墳は室内のほぼ全面にわたって描かれた様々な壁画に先の青以外の5色が使われ、じつにカラフルである。
ただ見比べると、こうした装飾古墳と先の2つの壁画古墳の壁画とでは、かなりタッチや色合いの違いがあり、性質が異なることがわかるだろう。
装飾古墳の数は日本全国に約700基と多く、しかもその半数近くは九州にあり、とくに福岡県、熊本県に集中する。その理由は明らかではないが、大半は横穴式石室であることから見ても亡き首長の霊魂の住処である墓室を守護するという観念に基づくと考えられる。
さて、装飾古墳には幾何学模様をはじめ、武具や鳥獣といった図柄あるいは彫刻がある。それらは古代の人々の美意識や死生観といったものを考えるうえで、非常に貴重な資料でもある。
たとえば熊本県の井寺古墳に見られる直線と弧線を組み合わせた「直弧文」という幾何学模様。これは邪悪なものを避けたいとの思いで描かれたとみられる。
また福岡県の日岡古墳など円形の模様は、魔よけやまじないに使った鏡をかたどったものと考えられている。そして馬や船の画は、それらに乗って死後の世界、すなわち横穴式石室へ行くと考えられていた。
壁画古墳
壁画古墳とは、横穴式石室の壁に人物・四神・武器・武具などの図像や幾何学文が描かれたものをいう。高松塚古墳・キトラ古墳の2例が知られる。
[キトラ古墳]
奈良県高市郡明日香村、高松塚古墳の南約1kmにある。古墳時代終末期(7世紀末から8世紀初め)。直径約14m、高さ4mの円墳。
[高松塚古墳]
古墳時代終末期、奈良盆地南部の丘陵上に築かれた円墳で直径18m、高さ5m。凝灰岩の切石を組み合わせた横口式石槨。石室の壁に四神、星宿と人物像の彩色壁画が描かれていたことで著名。石槨は長さ2.7m、幅1m余、高さ1.2mである。