地図をもとに現場をすべて歩いて記録した。身代金の受け渡し場面で道を間違えるのは、実際に現場を歩いた塩田さんが道を間違えたことがもとになっている
この記事の写真をすべて見る

 作家・塩田武士さんの『存在のすべてを』が本屋大賞2024第3位に入賞、そして第9回渡辺淳一文学賞を受賞した。二児同時誘拐事件をモチーフにした本作で、頭にあったのは、昭和を代表する作家たちの存在だ。AERA2023年9月25日号より。

*  *  *
 二児同時誘拐というかつてない事件のスピード感たるや。同時に、〈この犯人は現実的だ。映画や小説のように「奪取の方法」に重点を置いてもうまくいかないことを知っている〉というように、小説でここまで晒(さら)してしまってもいいのだろうかという気持ちになるようなことも克明に描かれている。

「日本では平成18(2006)年以降、身代金目的誘拐は起きていないと聞きました。その代わりに起こっているのが、特殊詐欺です。海外送金させるという手口の方がリスクが少なく確実なんですよ。つまり、もう誘拐がこの国において成り立たなくなっているから関係者も話してくれるんです。この時代になったからこそ開示できた。こうして書けるのも時の流れです」

“師匠”清張と山崎豊子

 同時誘拐を追うのは、まだまだ序盤。本作の肝になるのが誘拐された男児が戻ってくるまでの「空白の3年」だ。

「男児が誘拐されてから姿を消していた『空白の3年』を入れることで、その3年の間に『実』や『本質』が詰まっているという構成です。犯罪者って基本的にしょうもないんですよ。だからそれを美化するのもという気持ちもありましたし、ミステリーだからといって犯人当てみたいなのも表層的で嫌でした。人間がそこにいてほしかった。だから犯人ではなくて、空白の3年を追うというストーリーなんです」

 果たして、「空白の3年」に何が起きたのか。男児は誰にどのように育てられていたのか。ここから、物語は一気にクライマックスへと走り出す。

「長編小説の場合は、どうしても中だるみが来るんですけど、その中だるみのところにこの『空白の3年』が入ります」

 塩田さんは、松本清張と山崎豊子が自分の中の“師匠”であるという。

次のページ