田村耕太郎『頭に来てもアホとは戦うな! 賢者の反撃編』(朝日新聞出版)
田村耕太郎『頭に来てもアホとは戦うな! 賢者の反撃編』(朝日新聞出版)>>本の詳細はこちら

いちばん効果的なのは反応しないこと

 アホの悦びはいたぶっている相手の苦悩である。相手の「怒り」「くやしさ」「悲しさ」などで垣間見られる苦悩が何よりの〝蜜の味〞なのだ。

 では最高の反撃とは何か? 

 アホにはいたぶった相手が「全くこたえていない」様子がいちばんこたえる。これがやせ我慢とか怒りの転換などでもアホは喜ぶ。なぜならそれらは基本的にアホの攻撃が効いていることの裏返しだからだ。

 アホが心から悔しがるとしたら、それは全くこたえていない、これから攻撃性を高めても効きそうもない様子である。いたぶっていることさえ理解されていない様子こそが最高の反撃なのだ。

 そのためには「無の境地」でスルーすることである。こいつは図太くいたぶりがいがないドアホだと思われることだ。鈍いと思われてもいい。悔しさを他で紛らわせるそぶりもよくない。八つ当たりもダメだ。そもそもなんとも思わないように心を整えよう。

 そのためには、どうすればいいか。目的に集中することだ。アホを含め、誰に対してもリスペクトを持って、楽しく、親切にし続けるのだ。これを普段から普通に徹底していこう。楽しく、リスペクトを持って、親切に、淡々と堂々としている。こういう人こそ、アホがいたぶりの快感を覚えにくい。

 その根拠として、モビリティを持っておくことが大事である。いざとなれば、現在の職は辞しても何も困らない。そう思えれば、アホのいびりは気にならなくなる。辞められたら困るとまで思わせたら最高だろう。

戦わずに戦う

 既存の体制の中で賢く立ち振る舞うか? あるいは体制をよりよく変えていくべく立ち上がるか? あえて二項対立の設定とするならば、私はやや前者の立場に立って前作の『頭に来てもアホとは戦うな!』を書き、それが思わず広く受け入れられた。なぜなら、アホと戦うことは何も生み出さず、ただ精神を消耗するだけだからだ。

 ただ一方で、特に正義感あふれる若い方々から「そんな風に皆がアホから逃げていては社会にアホがはびこりよくならない」という批判の声も届く。まさにその通り。既存の体制の中で、賢く振る舞っていると、その行為自体が既存の体制を強化してしまう。賢く振る舞いながらもいつか力をつけて体制を改革しようと思っても、自ら強化してしまったその体制が自分の手足をもいでしまう。賢く振る舞う過程で作った貸し借りで、まともな恩義・仁義の心を持っていれば持っているほど何もできなくなる。

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アホと戦うのは若者の特権?