メキシコでよく飲んだのはコロナでもテカテでもなくボヘミア。これを選ぶとお父さんが喜ぶので(写真:本人提供)

 とはいえ本当に伝えたいことがあった時、なぜかアプリの存在はさーっと後ろに引くのである。これは本当に不思議なんだけど、人生の悩み、家族の悩みなど、いろんなメキシコ人の方々と、相当に深い哲学的な話を、互いにおぼつかない英語で延々と話し合ったこと数知れず。そういう時って、なんだかお互い同じ波に乗るような感じになって、たとえ肝心なところで肝心な単語が出てこなくとも「ユーノウ?」「アイノウ!」でおそらく完璧にお互いの心がわかるのである。

 結局、コミュニケーションとは言葉以前のものが案外大きいのだろう。それは何なのかというと、結局「人生」であり「苦しみ」なのではないだろうか。どこの国の人であれ誰しも一生懸命生きていて、あれこれの壁にぶつかることにおいては何ら変わりないのである。つまりはお互い必死に生きてさえいれば、ちゃんと理解し合うことができるのだ。

 外国語が話せないことがずっとコンプレックスで、若い頃は散々教材を買い挑戦と挫折を繰り返してきた。でもそういうことじゃなかったのかもと今にして気づいたのである。

AERA 2024年4月1日号

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稲垣えみ子

稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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