ハウスボートクラブ 運航管理部副部長 船長 高村佑樹(たかむら・ゆうき)/1994年生まれ、神奈川県出身。国立富山高等専門学校商船学科(航海コース)を卒業。貨物船航海士を2年半、小型観光船船長を3年経験した後、現職。2年半ほど経験を積む(撮影/写真映像部・東川哲也)

 全国各地のそれぞれの職場にいる、優れた技能やノウハウを持つ人が登場する連載「職場の神様」。様々な分野で活躍する人たちの神業と仕事の極意を紹介する。AERA2024年3月25日号にはハウスボートクラブ 運航管理部副部長 船長 高村佑樹さんが登場した。

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 供養のスタイルが多様化し、故人の遺骨を粉状にして自然にかえす海洋散骨は増加傾向だ。一連のセレモニーが滞りなく行われるよう、大切な遺骨と遺族を船に乗せて出航し、永遠の別れに寄り添う。

「ご遺族が故人様を十分にしのび、最後は晴れやかな気持ちになってもらえるよう、安全に心を込めて操船することが私の役割です」

 故人の水先案内人として、東京湾で年間150便ほどの運航を担当する。厚生労働省などのガイドラインでは「海岸から一定の距離以上離れた海域」で散骨する必要があり、羽田空港第2ターミナル(東京都)の沖合で見送る。

 これまでたくさんの遺族の弔いを見てきた。「ずっと雨だったのに、散骨の時だけ晴れたり、海の上なのに突然チョウが飛んできたり。不思議だけど、故人の旅立ちに花を添えてくれているかのように感じます」

 船に乗らない日は、散骨コーディネーターとして遺族の要望を聞くことも多い。思い出の場所や自宅の近くなど、遺族が散骨したい場所はさまざまだ。

 自社の船は一隻しかないため、全国各地の遊漁船事業者などと交渉し、海洋散骨への協力を依頼する。用途の特殊性から断られるケースもあるが、趣旨を理解してくれる事業者も増えた。現在、国内では80を超える場所からの出航が可能になった。

 散骨に興味を持ったのは、前職で観光船の船長をしていた時だった。会社の同僚が詳しくて、散骨について語るのをよく耳にした。

 その頃、船が大好きでいつもかわいがってくれた叔父が亡くなり、死と散骨がリアルに結びついた。ふと「船が大好きだった叔父さんも生きていたら散骨を望んでいたかもしれない」と感じた。

 現在の職場の門をたたき、半年の訓練期間を経て、船長になった。先代が初めてお墨付きを与えた2代目だ。

「技術も評判も先代が上ですが、超えていきたいです」

 状況に応じた適切な判断と的確な操作が求められる操船は、重い責任を負う仕事でもある。下船時に遺族から「安心して供養ができました」と言われることが何よりの励みだ。

「ご遺族に海洋散骨を選んでよかったと思ってもらえるように、気を引き締めていってきます」

※高村佑樹さんの「高」は、はしごだかが正式表記。

(ライター・浴野朝香)

AERA 2024年3月25日号