八日市屋さんは中堅になると年下の後輩をかばうようになり、「それは後輩がやるものだ」というベテラン選手と押し問答になることも。そんなことが重なるうちに、後輩の飲み会に誘われるようになった。後輩からさらに年下の後輩へ。横のつながりはどんどん広がった。若手とのコミュニケーションで得られるメリットも大きいという。
「競輪界でトップをはしるのは常に体力のある若手です。そんな旬の強い子たちから最新情報を教えてもらえるんです」
流行(はや)りの走法やフレームサイズ、ペダルの踏み方など、聞けばその場でメモを取る。興味のある走り方をしている若手には「どんな意識で乗ってる?」と尋ねてみる。競輪は情報戦。年齢を重ねれば重ねるほど新しい情報を得ることが重要になるという。とはいえ、二回りも若い世代に教えを請うことに抵抗はないのか。
「全く気にしません。僕はいつも、『お願いしやす』って感じでいくんで。ふんぞり返っているベテラン選手と比べれば、僕は情報が入るのも行動を起こすのも早いはずです」
情報を受け取るだけではない。若手から相談を受ければ、惜しみなく自分の技術のすべてを提供するという。
「信頼関係を築けば、レースで競争相手になるにもかかわらずみんな教えてくれます。本気で聞いているな、と感じる子には僕もすべて話します。そこはお互いスポーツマンですから」
八日市屋さん自身はSNSで発信する機会は多くないが、若手の投稿メッセージは常にチェックしているという。
「レース場にはスマホを持ち込めませんから仲の良い後輩の投稿内容を覚えておいて、あれ面白かったとか、あれってどうなん?と声を掛けます。それが会話のきっかけになるんです」
50歳近くでS級の常連選手となれば、黙っていたらレジェンド扱いされてしまう。だから自分から壁を崩す。八日市屋さんは若い頃から気さくでコミュ力のある人だった。じつはデビュー間もない1997年にもインタビューさせてもらった。当時、八日市屋さんは中央大学の学生(後に中退)。競輪選手の道を選んだ理由をこう話した。