「バブルがはじけた後でみんな就職に四苦八苦していました。そんな中で苦労して会社員や公務員になっても、30歳、40歳になった時の自分の暮らしが今から想像できる。それがつまらないような気がして、自分の特技を生かせるなら、と考えました」
身長のことでハンディを感じますか、という質問にはこう答えた。
「競輪学校に入る時、両親からも『その身体でやっていけるのか』と反対されました。子供のころから負けず嫌いでしたから、そう言われると逆に『自分の力を見せてやろう』という気になるんです。体が小さい分、風の抵抗を受けにくいというメリットもあるんですよ。何事も前向きに考えるようにしています」
27年ぶりのインタビューで腰の低さは当時と全く変わっていないが、前向きで負けず嫌いで努力家なところもそのままだと感じた。本人にそう伝えると、真剣な面持ちでこう返した。
「気持ちで負けないってことですよね。メンタルで若い子を凌駕できれば、まだ通用するってことです」
向上心がなくなったら終わり、と八日市屋さんは力を込める。競輪界には毎年、若手の生きのいい選手が加わる。そんな中、常に実力アップを図らなければ現在の地位をキープできないからだ。
「自分にないものばかり見てうらやましがってもネガティブになるだけ。自分の手持ちのカードを磨くことにとことん専念するんです。それが楽しい」
(編集部・渡辺豪)
※AERA 2024年3月25日号より抜粋