哲学者 内田樹

 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 講演が続く。このところ「世界はこれからどうなるのか」という演題をよく頂く。たぶん私が割と大胆な未来予測をするからだと思う。勘違いしないでほしいが、私の未来予測は「世界はこれからこうなります」と占師のように断定するものではない。「起こり得る蓋然性の高いシナリオ」をいくつか順番に吟味してみるというものである。私はこの作法を米国の政治学者たちから学んだ。米国の政治学者たちは未来について「もっともましなシナリオ」から「最悪のシナリオ」までをして、それぞれについて国益を守るための最も適切な対策は何かを論じる。日本の政治家や政治学者はあまりそういうことをしない。彼らはまず未来予測をすることを嫌う。なにしろ「仮定の問いにはお答えできない」で政治家が務まる国である。メディアで世論形成をめざす人たちは主観的なシナリオを一つ差し出すだけである。「起こり得るさまざまなシナリオ」の一つ一つについて主観的期待を排して、クールに吟味する知的習慣は日本にはない。

 しかし、「もっともましなシナリオ」から「最悪のシナリオ」までを等しく冷静に検証することは政治を語る人の重要な仕事だろうと私は思う。とりわけ「最悪の事態」について想像力を行使することは必須だと思う。そうすれば、実際に「最悪の事態」が出来したときに不意を突かれて肝をつぶす事態を避けられるし、そうならないように予防的な配慮をすることもできる。

 先日の講演では「トランプが大統領に再選されたら日米関係はどうなるか」についての「最悪のシナリオ」を想像してみた。トランプは予備選ではNATOからの脱退を公言している。国連からの脱退と在日米軍基地の撤収を主張している共和党議員もいる。だから「日米安保条約の廃棄」は可能性としてはゼロではない。

 しかし、日本の外交専門家は日本の安全保障については「日米同盟基軸」を呪文のように唱えているだけで「日米安保条約が廃棄された後のわが国の安全保障体制」について想像力を行使する習慣がない。米国の政治学者に同じ質問をしたらよどみなくいくつもの「シナリオ」を語ってくれるだろうに。

AERA 2024年3月25日号

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内田樹

内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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