米国へ赴任したとき、ニックネームを選べと言われ、頭文字が同じTの「テリー」にした。高校時代にプロレスのテリー・ファンクの大ファンだったからだ(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年 3月4日号より。

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 1981年10月から23年半、米国に駐在した。最初の約4年は、西海岸のロサンゼルスの駐在員。あとは東海岸のニュージャージー州ブリッジウォーターにある米国法人ブラザー・インターナショナル・コーポレーション(BIC)で過ごす。

 ロスは入社3年目。会社が新規参入を図るプリンターの試作品1台を手に赴任し、英語が得意でもないのに事務所兼住宅を1人で構え、コピー機やファクスも据えて、全米各地へ飛んで売り込みを重ねた。試作品は、簡単に言えば、主力商品だった電子タイプライターのキーボードを切り離し、パソコンとの接続端子を付けて仕上げた製品。まだ印字速度は他社製品に見劣り、売れる確信はない。

 でも、母から継いだ「やると決めたら、やり抜く」の気構えが、二つの壁を突き破る。オフィススーパーストア(OSS)と呼ぶ事務用品の量販店で、全米の上位3社へ徹底的に食い込んだ。購買担当者と会い、食事へ誘い、一緒にゴルフをやり、相手側から感じていた「日本人に本音を言う必要はない」という「心の壁」を崩す。

 3社とも、値ごろ感を重視した。決めた取引価格は、他社製品の約3分の1。印字速度が遅いから高い値は無理、と分かっていた。でも、1社につき千台で、売値が日本円で10万円なら計3億円。「このくらいの機能でも、この価格なら買う」という米国流をのみ込み、新規参入者にとって難しい「価格の壁」も超えた。すると「毎月、買いたい」となり、米BICの成長が始まる。

母の無念さが導いたバイオリン教室とボーイスカウト

 1955年10月に愛知県一宮市で生まれ、父母と姉妹の5人家族。母は、戦後まもなく20歳になる前に嫁に出され、学校は高校で終えていた。いろいろと学びたかったのにできず、悔しくて、息子に新しいことへ挑戦させる。小学校時代にバイオリン教室へ通わされ、中学校まで6年間続けた。小学校5年生でボーイスカウトにも入れられ、こちらは5年間続けた。

 そのなかで、母が込めた「やると決めたら、やり抜くのよ」との思いを継いで、気構えとなっていく。この「やると決めたら、やり抜く」の姿勢が、小池利和さんのビジネスパーソンとしての『源流』となった。

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