謎解き要素も盛り込みつつ物語は怪奇小説やファンタジーの領域へ。コナン・ドイルの作品にもあるワトソンと妻の故由が、切なくほろ苦い後味を残す。執筆にあたりドイルの伝記もひもといた。
「ドイルにとってホームズがヒットしている時期は私生活でつらい時期だったんです。そんな悲哀や陰も作品に反映されていると思います」
森見さんは初出から推敲を重ねることでも知られている。
「結構コンプレックスなんですよね。最初に正しいラインを見つけて書くのが苦手なんです。ここ10年、執筆量だけでいえば、刊行された作品の3倍は書いている」
それでも書き続ける理由は、
「うまく書けている時って、本当に幸せな気持ちになるんですよ。朝から書いてうまく進むとお昼に近所の『餃子の王将』で焼き飯を食べながら、しみじみ幸せな気持ちになる。小説が書けた時のこの満足感は、ほかでは味わえない。僕のなかで小説を書くことは幸せとつながっているんです。若干依存しているのかもしれません。小説を書くことに」
小説とは登場人物と一緒にその世界を生き、夢中になって読んでいる間だけ存在しているものだ──著作『熱帯』に登場するこの言葉が、まさに森見ワールドの醍醐味だ。
「本作はつらい時期をくぐり抜ける過程を描いているので、その爽快感も味わってもらえれば。僕が本当にスランプから脱出したかどうかは、よくわかんないんですけど(笑)」
(フリーランス記者・中村千晶)
※AERA 2024年3月4日号