今日は2月22日、いわゆる猫の日だ。そして、古今東西、猫という生き物は人を虜にしてきた。宇多天皇が記した日本最古の猫日記には、荘厳な言葉で伝説上の生き物にたとえられた猫が登場する。果たしてどんな猫だったのか。
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平安期から、皇族貴族ともに実に日記をよくした。公務日誌であるが私的呟きでもあり、膨大な情報を後世にもたらしている。猫についても同様である。
日本最古の猫の飼養記録は帝の日記である。第58代光孝天皇は、仁明天皇皇子ではあったが当初皇統は継いでおらず、55歳になって突然立太子され、帝となった。中継ぎ天皇と目されたため、自ら子女をすべて皇籍から除き、源氏とした。
のちに皇位を継いだ宇多天皇もその1人である。源定省と呼ばれ侍従として勤めていた頃、父帝から1匹の猫を賜った。
まるで“雲の上の黒龍”と褒めたたえた
「音もなく歩くとき、まるで雲上の黒龍のようだ」と書きとめている。黒猫だ。大宰府の役人から父帝に献上された猫で、定省は毎日「乳粥」(牛乳の加工品:酪のことか)を与えて愛育したという。どの猫よりも鼠をよく獲ると褒めたたえ、なおかつ日記中で語りかけた。
「お前は陰陽の気を宿し、四肢七穴を備えたものなのだから、私の心がわかるだろう」
黒猫はため息をつき、のどを鳴らして定省を見上げたという。
「帝から賜ったものゆえ、とるに足らぬものだが大事にしている」と言いながら、このツンデレぶり、元祖・愛猫家にふさわしい。父帝崩御ののち、俄かに皇族へと戻され即位し、直後巻き込まれた大政争がようやく一段落したころ書き残した記録である。宇多天皇の日記『寛平御記』はいつしか散逸したが、室町時代成立の『河海抄』(『源氏物語』の注釈書)に、猫の部分のみ引用され、現在まで伝わった。