お笑い界から去っていった同期
その理由をダンディさんはこう分析する。
「漫才をやる人たちのなかにキャラが強い人が増えてきたっていうのもあると思います。たとえば、『有吉の壁』(日本テレビ系)とかで結構癖の強いことやるじゃないですか。一発屋の人たちってキャラが濃い人たちが多かったんですけど、結局、漫才とかコントをやる人たちにもキャラの濃い人たちが出てくると、その人たちは弁も立つから、僕らみたいなキャラ芸人っていらなくなるんですよね。あと、世間の人たちがおなかいっぱいになり過ぎて、もう求めていないというのもあると思います。ブームはここ10年くらいで終わりでしたね」
1993年に26歳で上京してから、30年以上、芸人を続けてきたダンディさん。「殺人的なスケジュール」と話すほどの大ブレークも果たした。そんな経験を積んできたからこそ、後輩によく伝えることがあるという。
「面白かろうが面白くなかろうが、せっかくこの世界に入ったんだったら、これを仕事にお給料もらって食べていこうよって。じゃないと寂しいじゃないですか。せっかくみんなで志を同じにして、何かの縁で同じ事務所に所属しているわけですから。後輩たちには、どんなキャラでもネタでもいいから、とにかく頑張ってこの世界で食べていってほしいんです」
そう語るとき、ダンディさんの頭には、夢破れてお笑いの世界から去っていった同期のことが浮かぶ。
「今の事務所に移る前にいた人力舎の養成所では、同期が30~40人いたんです。けど、そのなかでお笑いを続けているのは、東京03の飯塚(悟志)とピン芸人のユリオカ超特Qだけです。あとは全員やめちゃいました。僕、2期生なんですけど、1個下の3期生でも売れてるのってアンタッチャブルくらいなんです」