圧倒的強者を語るとき、その強さに立ち向かった無数の挑戦者がいることを忘れてはならない。そのことを思い出させてくれたのが、森合正範氏の著書『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』(講談社)である。
プロデビューから26戦26勝と圧倒的な強さを誇る井上尚弥選手。同書はかつて井上選手との死闘の末に敗れたボクサーたちから直接話を聞くことで、その「強さ」に迫ったスポーツノンフィクションだ。
井上選手は2023年12月におこなわれた世界スーパーバンタム級主要4団体王座統一戦の勝利により、史上2人目となる2階級4団体統一王者を達成。プロボクシング界の第一線で活躍を続ける井上選手の強さとは何か、多くの人が「知りたい」と願うだろう。しかし、敗者から話を聞くことはそう簡単なことではない。
「試合に向けた数ヵ月間、厳しい鍛錬を積む。疲れた体に鞭を打ち、汗を絞り出す。軽量直前は絶食するボクサーもいる。タイトルマッチなど、試合によっては、長い年月の末にようやく巡ってきたチャンス。人生を賭け、その結果、敗れた。そう簡単に受け入れられるはずがない」(同書より)
著者の森合氏は高校時代にボクシングの虜となり、大学進学と同時に格闘技の聖地ともいわれる後楽園ホールでアルバイトを始めた経歴を持つ。その中で試合で着用するグローブを選手に渡しに行く「カギ番」を任されていた森合氏は、試合に敗れた後のボクサーからグローブを受け取る機会も多かったという。
「試合後、赤い革のグローブはたっぷりと汗を含み、数時間前に渡したときより、少しばかり重くなっている。敗者の汗を吸い込んだグローブはなぜか、勝者のものより重く感じた」(同書より)
敗れたボクサーがどのような心情でリングに上がり、どれほどの喪失感に苛まれるのかを森合氏は目の当たりにしてきた。だからこそ編集長の坂上氏に助言されるまで、井上選手と闘った選手に取材をするという発想は森合氏の頭に一切なかったのだ。
しかし「井上という稀有なボクサーを伝えたい。その思いとは裏腹に私自身、何が凄いのか、本当は分かっていない」(同書より)といったもどかしさを抱えていた森合氏は、自らがタブーかもしれないと考える領域へ踏み込む決意を固めた。
「怪物」と呼ばれる井上選手とかつて闘った男として森合氏が最初に取材に向かったのは、井上選手のプロ3戦目の相手であり元日本ライトフライ級1位の佐野友樹氏である。
当時井上選手は日本ライトフライ級6位で、ランクとしては1位の佐野氏のほうが格上の存在。しかし世間から見た佐野氏は、若き天才・井上尚弥の「咬ませ犬」だった。佐野氏もそのことは理解していたが、彼にとってもボクサー人生を賭けたまたとないチャンスだったのだ。
絶対に勝つつもりで臨んだ試合当日。開始1分20秒で佐野氏がわずかに上体を下げた隙をつき、井上選手の左アッパーが飛んできた。当時のアッパーを佐野氏は「試合であのアッパーが一番効いた。パンチをもらった右目だけでなく、あまりの衝撃で左目まで見えなくなったんです。『バン!』と打たれて両目とも見えなくなったんです」(同書より)と語っている。さらに井上選手との闘いを佐野氏は以下のように振り返った。
「井上君の左は多彩で一発一発のタイミングが違うんです。ジャブが来ると思ったら来なかったり、来ないと思ったら、また出てきたり。ジャブの軌道のはずが途中から急にフックになったり。そう思ったら、ボディーに来る。動きが柔らかくて、パンチに伸びがあるというのかな。全身がバネという感じ。闘っていて、これはむちゃくちゃ練習しているんだろうなと思いました」(同書より)
一瞬たりとも気が抜けない中、毎ラウンド必死に食らいついていった佐野氏。しかし、その瞬間は訪れた。10回1分9秒。井上選手の左フックでわずかによろめいたところを畳みかけられ、佐野氏のTKO負けとなった。
試合には敗れたものの、決して諦めなかった佐野氏の健闘は会場の観客やテレビの視聴者から多くの反響を呼んだ。これまで1日に数件しか来なかった佐野氏のブログには、試合後120件以上の書き込みが寄せられたという。勝者だけでなく敗者にまでもスポットライトが当たる......。それもまた絶対的な強者のなせる業なのかもしれない。
同書では、ほかにも井上選手と闘った10人のボクサーに取材をおこなっている。勝者にこそならなかったものの、佐野氏のように多くの感動を与えた者、敗戦を糧にさらなる高みに上り詰めた者、いまだ敗戦のショックから抜け出せずにいる者......。絶対的な強者と闘った者たちから話を聞ける機会は滅多にない。同書を読んで怪物・井上尚弥の「強さ」の謎に迫ると共に、彼らの物語から学びを得てはいかがだろうか。