参考になるのは、「皇女」であったサーヤ
愛子さまは、新型コロナへの対応や災害救護活動に関心を深めるなかで、「少しでも人々や社会のお役に立つことが出来れば」と日赤で働くことを選択したという。
愛子さまといえば、古典への造詣が深いことで知られている。
大学では平安時代から明治時代の古典や文学、和歌などを学び、愛子さまが昨年12月に提出した卒業論文は、「中世の和歌」についてのものだった。
22歳の誕生日には、「むし双六の和歌」や「百人一首」などに熱心に見入る愛子さまの映像が公開されている。現存する最古の写本である古典籍は、宮内庁書陵部の資料だ。
1月の新年の宮中行事「歌会始の儀」では、中世の和歌が千年の時を経て現代に受け継がれていることへの感銘を和歌に詠んでいる。
幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ
就職の後、愛子さまの研究はどうなるのか。
参考になるのは、同じ天皇と皇后の「皇女」であった黒田清子さんのキャリアだろう。愛子さまが清子さんのティアラを借りているのも、ご身位の格が相応しかったためとみられる。
学習院大では、愛子さまと同じ国文学科(現・日本語日本文学科)で古典を学んだ。和歌に高い素養を持ち、大学の卒業論文は「八代集四季の歌における感覚表現について」だった。
ボランティアや自然保護にも取り組み、盲導犬育成など福祉への関心も高かった。しかし、非常勤研究員として就職したのは千葉県にある山階鳥類研究所。結婚後も客員研究員などとして鳥類の研究を続け、17年には、『山階鳥類学雑誌』に「皇居の鳥類相」について足かけ5年分の報告書が掲載された。
玉川大学教育博物館の外来研究員としても研究を続け、19年には、清子さんが企画した鳥類図譜の特別展が東京芸術劇場(豊島区)で開催された際には、上皇ご夫妻を案内するというほほえましい場面もあった。