にぎやかな蝉の声もまだまだ盛んな立秋。その次侯は「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」。暦の上ではもう秋、そんな中ヒグラシの鳴き声がよく響く、というような意味合いでしょうか。でもどうして「寒蝉」を「ひぐらし」と読むのでしょう。
この記事の写真をすべて見る蒸し暑い夜ほどよく鳴く蝉
「蝉の声がやかましいやうでは 所詮日本の詩人にはなれまいよ」(伊東静雄「羨望」より)
若い友人が真夏の田舎で夜中じゅう鳴き通す蝉の声に癇癪をおこして木刀を持って飛び出した、というエピソードを、詩人がからかって言ったという詩の一節です。確かにむし暑い夜ほど、蝉が一晩中鳴いていることが多い。旅行に訪れた外国人の多くも、日本の蝉の鳴き声の大きさと多さに驚く人が多いと言います。詩人に限らず、蝉をうるさく感じるようでは日本の夏はのりきれないかもしれません。
実はよくわからない寒蝉の正体
「ひぐらし鳴く」とされてはいても、カナカナゼミとも言われるヒグラシは、比較的早く、夏至の頃から鳴き出す種。立秋ごろから鳴き出すツクツクボーシ(法師蝉)の方が寒蝉にふさわしいのではないか、という説もあり、時候の意味合い的にはそちらに説得力がありそうです。このため、辞書などでは蜩、法師蝉どちらの説も併記しています。
さらに、七十二候の本家である中国の故事成語には「仗马寒蝉(いななかない宮廷の儀仗隊の馬や鳴かない晩秋のセミのようである)」→「押し黙って一言も発しない」とあり、それによると寒蝉は鳴かない晩秋の蝉? ともとれます。
ただ、タイトルに「ひぐらし」が入る日本のアニメの中国版のタイトルを見ると、ヒグラシを「寒蝉」と訳されていますので、ヒグラシ=寒蝉という認識が共有されていることはほぼ間違いなさそうです。
早朝や日暮れに「カナカナカナ・・・」とどこかはかなく物悲しげな声は、徐々に日暮れが早くなる季節の移ろいを象徴しているようにも感じられ、諸説あれどヒグラシが「寒蝉」の名にふさわしく、それでいいのかもしれません。
唄声もいろいろ
ところでこのヒグラシの別名「カナカナゼミ」の、ストリングス風の鳴き声を「カナカナ・・・」と表現した最初の人はすごい。虚心で耳を傾け音を当てはめれば、キョキョキョキョ・・・とかケケケケケ・・・・と聞こえるような。それを、高い金属的な響きにかけて、「カナカナ」としたのは、天才的ではないでしょうか。
蝉の鳴き声はどれも本当に個性的で聞いていると楽しくなってきます。アブラゼミの蝉しぐれの基調メロディーに乗せて、義太夫のうなり声のようなミンミンゼミ、ツクツクホーシはゆっくりした出だしから徐々にピッチを上げていくブキウギ。西日本ならこれに更にクマゼミのじゃんじゃん鳴らす銅鑼の響が加わったり。もちろん彼らは楽しんでるわけではなく、短い命の間の必死な生殖行動なのですが。
筆者は個人的には、全身が複雑で深みのある色合いの模様で覆われたニイニイゼミが特に好きで、桜の木にしかとまっていないのでよく見に行きますが、他の蝉にかき消されるような低い途切れ途切れの声で「ジッ・・・ジジッ」と控えめに鳴いています。西日本ではニイニイゼミをチッチゼミという地域もありますが、チッチゼミはチッチゼミで別種がいたりしてややこしい。
メジャーだが謎多き昆虫
都市部にも多く生息し、大型でよく鳴き活発な蝉は、誰もがよく知る身近な虫の代表選手。野山に入らなくても「ニンフ」と呼ばれる羽化したての青白い姿を間近で観察できる数少ない昆虫ですが、その生涯のほとんどを地中で暮らし、また成虫を捕獲しても飼育が困難なことからまだその生態はわかっていなことが多いようです。
たとえば以前は成虫になると二週間足らずで死ぬと思われていたのが、比較的それより長く、一ヶ月前後は生きるらしい、ともわかってきました。また、成虫になるとすぐに鳴けるわけではなく、数日間は発声器官が機能しないらしい、とも。アメリカの蝉の中には十七年周期、十三年周期で大発生する「素数ゼミ」という予備校みたいな名前の蝉もいて、その周期の理由も判明していません。
まだまだこの先夏休みの間中鳴き続ける蝉。じっくり観察していたら、もしかしたらまだ知られていない蝉の生態を、世界で初めて発見できるかもしれません。