石川県が運営する、「県立輪島漆芸技術研修所」に入学した佳織さんは、人間国宝の職人から、漆塗りの技術を学ぶ日々。ゆくゆくは翔太さんと二人で、輪島の人々の交流の場となるコミュニティースペースを作りたいという構想もあった。

「地域の人も、移住してきた人も、インバウンドで訪れた外国の人も、みんながつながれる場所があったらいいなと。そこには、能登のお母さんが作った加工食品とか、私が作った作品を置いて、翔ちゃんは本が好きだったから本も読めるようにして、みんなでお茶を飲んだりできて……」

 夢いっぱいの夫婦生活が、ずっと続くと思っていた。

がれきで覆い尽くされていた場所に翔ちゃんが

「日に日に家の状態は変わってきてて、余震のたびにつぶれていってるんです」

 自宅があった場所に、記者を案内してくれた末藤さん。家の損壊具合は、想像をはるかに超えていた。

 1階部分はぐしゃりとつぶれ、落ちてきた2階も、木の骨組みにかろうじて屋根が乗っている状態。周囲は木材やトタン板など、がれきで覆いつくされていた。

「ここに、翔ちゃんが埋まってたんです」

翔太さんが埋まっていた場所を見つめる末藤さん。泣きじゃくりながら、「翔ちゃんの家族にも見せないと……」と写真を撮っていた

 救助に訪れた自衛隊員の手で2階の床板がはがされ、あらわになったわずかなスペースを見つめながら、佳織さんは静かにそう言った。しかし、点々と残された赤い染みを見つけると、「あっ、血が、血がついてる」と、こらえきれずに嗚咽(おえつ)を漏らした。

 少し気持ちが落ち着くと、佳織さんは、何か持って帰れるものはないかと、壊れた家の隙間に頭を突っ込みながら、あたりを探しはじめた。

 長靴、下着、翔太さんの服一式、ETCカード、パソコンのマウス。次々と物が集まるなか、佳織さんは、「シンイチさん……」と、人の顔を模した小さな焼き物を拾い上げた。

「私たちのキューピッド」

「これを作ったシンイチさんは、私たちのキューピッドなんです」

自宅居間の折れた木材のすき間に転がっている“シンイチさん”を見つけ出した佳織さん

 シンイチさんとは、前述のとおり、佳織さんと翔太さんが付き合うきっかけとなった、障害者施設にいた男性のことだ。

「シンイチさんは、当時40代前半くらい。施設一のトラブルメーカーで、ムードメーカーでした。お弁当は、毎回『いやじゃん!』って口をつけないんです。これを食べたら家に帰らないといけないと分かっているからでしょうね。だからスタッフも、お昼の時間を変えてみたり、お弁当箱から別の容器に移して食べさせてみたり、あの手この手で……(笑)。でも、楽しいときはニコニコ笑ってて、それがかわいくて、みんなから愛されてました」

 施設では、入所者が手がけた作品を販売しており、当時翔太さんと付き合いはじめていた佳織さんは、シンイチさんが作った焼き物を買い取った。結婚後は居間に飾り、二人で大切にしていたという。

震災の日以降、ずっと見ないようにしていたという翔太さんの写真。記者との別れ際に見せてくれた佳織さんは、みるみる目をうるませた

 翔太さんの火葬は、1月10日、家族や友人5人が見守るなか執り行われた。佳織さんは遺骨とともに本に帰り、現在は実家で暮らしているという。

 小さな手で“シンイチさん”を包み、優しくさすった佳織さんの横顔は、それまでの感情を押し殺したような表情から一転、ほほえみをたたえた、実に穏やかなものだった。

(AERA dot.編集部・大谷百合絵)

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