
作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は高島屋クリスマスケーキ騒動で考えた、日本という国の信頼性と、社会の綻びについて。
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年の瀬、地味にジワジワと胸が痛いニュース、高島屋のクリスマスケーキがぐちゃぐちゃになって届いた問題、である。10月から注文を受け付けていた名店監修のケーキということで、楽しみにしていた分、受け取った側の落胆は大きいに違いない。私だったら、お金だけ返されても気持ちがおさまらない。「楽しみにしていた気持ちや、失ったクリスマスの気持ちはどうなるのよぉー!」と絶望しそうである。そのくらいクリスマスのケーキへの期待は大きいのだ。
それにしてもいったい何故こんなことになったのか……とニュースを追いかけていて驚いたのは、ケーキの価格が5400円ということではなく(驚くけど)、そういうケーキが2900個も売れているということでもなく(驚くけど)……テレビで80代の男性コメンテーターが、「高島屋がそんなケーキを出すわけない。宅配業者に責任がある」という趣旨のことを、どうやら言い切ってしまったことである。
「百貨店が間違いを起こすはずがない」
久しぶりにそういう価値観をはっきり耳にした。
そういえば私も昔、そんなふうに思っていたことを思い出す。
いつからだろう。「日本製だから安心」とか「日本製だから信頼する」とか「日本の老舗の会社だから間違いない」とか、そういう「信頼」というものが、この国全体から薄らいでしまっているのは。
今回のケーキぐちゃぐちゃ問題の責任の所在がどこにあるかはわからないが、「こんなこと、日本で起きるはずがない」という信頼が、この十数年で社会から失われつつある。「百貨店は間違わない」という高齢男性のコメントに、逆に「そういう時代は終わった」と気が付かされた。だって、日本を代表する銀行で送金できなかった問題とか、ATMトラブルにもう驚かなくなっているし。日本を代表するケータイ会社だって通信できなくなっちゃう不具合起きるんだなぁってことも経験済みだし。
信頼といえば、日本経済を支える車産業に対する不信も募るばかりだ。