『クリス・クロス』セロニアス・モンク
『クリス・クロス』セロニアス・モンク
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 ジャズの初心者マークはまだ取れていなかったが、セロニアス・モンクの良さはほぼ一発でわかった。理屈ではなく身体でわかった。どう「わかった」のかを伝えることはむずかしいが、自転車が乗れるようになった瞬間のグラグラと蛇行する楽しい感覚とでもいうか、その自転車がデコボコ道をゆっくり走っているときの快い振動というか、そのようなノリ(スウィング)と快感(グルーヴ)が、モンクの音楽からは発散されていた。

 それは飛び切りに楽しい体験だった。こういうことを言うと、年季の入ったジャズ・ファンや熱心なモンク派の人からは怒られるかもしれないが、ぼくはセロニアス・モンクというピアニスト、いや作曲家、いやいや全身音楽家が表現しているものは「音楽の楽しさ」だと思う。もちろんその「表現されているもの」は楽しいことばかりではないが、それでもなおモンクの音楽は究極的には極楽的享楽の境地を目指して突き進んでいると確信している。

 もう一点。これは初心者マークが取れてから理解したことだが、モンクの音楽は、ある時代までのジャズの歴史を凝縮したものであるということ。より正確には、ジャズの歴史という表現をジャズのスタイル変遷史と置き換えたほうがいいかもしれない。つまりモンクのピアノには、ジャズ初期のラグタイムやブギウギ、ストライドといったピアノ奏法とスタイルの原点そしてその後の変遷が投影され、モンクがグループ(主にテナー・サックス奏者チャーリー・ラウズとのカルテット時代)で表現した音楽もまた、ジャズの原点からビバップ、ハードバップ、モダン/メインストリーム、前衛と大きく変化したスタイル変遷史をそのまま飲み込み、セロニアス・モンク自身の音楽として再提示したものだった。それはジャズの歴史を凝縮したものであるがゆえに「狭義のジャズ」を超えた、何か特別な表現領域にある音楽といえる。

 最後の注目点として、作曲家・編曲家としての才能に触れなければならない。モンクは生涯にわたって、自分で書いた曲であれ他者が書いたスタンダード・ナンバーであれ、同じ曲を何度もくり返し演奏することに情熱を傾けた。そんなモンクに対して「もう新しい曲が書けないのだろう」といった辛辣な言葉が投げつけられたこともあるが、その種の現実的な側面もなかったわけではないとはいえ、ぼくはそれ以上にモンクという表現者は「更新作業」にこそ意義を見い出し、自分自身の楽しみもまたそこに感じていたのではないかと思っている(ギル・エバンスも更新タイプの表現者の一人に挙げられる。そういえばギルとモンクが弾くピアノは、音の置き方と置く場所がよく似ている。そして2人は申し合わせたようにソプラノ・サックス奏者スティーブ・レイシーとの共演を好んだ)。

 この『クリス・クロス』というアルバムには、これまでぼくが述べてきたようなモンクの個性と魅力がすべて、しかも最良のかたちで集約されている。「そうかなあ?」と首をナナメ35度に傾けている人は、もう一度『クリス・クロス』という、モンクの作品一覧のなかでは無視されるか軽く見られているアルバムを新しい耳で聴いてほしい。《ドント・ブレイム・ミー》における、ジャズ・ピアノ史を圧縮したかのような見事なソロ・ピアノ。《二人でお茶を》では、モンクを主体にしたピアノ・トリオの演奏を堪能することができる。そして生涯の相棒チャーリー・ラウズを加えたカルテットによる演奏の数々。とくに《リズマニング》や《シンク・オブ・ワン》は、ビバップにルーツをもつメインストリーム・ジャズのその後が「近未来」まで先取りした上で描かれている。ウィントン・マルサリス(トランペット)の『シンク・オブ・ワン』は、その「近未来」から過去のモンクに送信されたメッセージだったのかもしれない。なにやらバック・トゥ・ザ・フューチャー的な夢想だが、モンクの音楽には、そんな夢を見させてくれる安らかな抱擁感そして大きな楽しみがある。[次回7/27(月)更新予定]