それが最も鮮やかに表れたのは18年、53歳の誕生日にあたっての会見だった。父から兄への代替わりを前に宗教色の強い「大嘗祭」について、「国費で賄うことが適当かどうか」と述べたのだ。この発言について当時、秋篠宮さまは“税金コンシャス”なのだと書いた記憶がある。
そして令和になった。秋篠宮さまは今も車での移動時、交通規制に従っている。天皇家、皇太子家の場合、通行する道の全てを「青信号」にする。が、宮家の場合はそういうことはしない。秋篠宮さまは皇嗣という立場で皇位継承順位1位だが、宮家方式のままだ。
特権的に振る舞わず、できるだけ国民に近くありたい。そんな考えからだろうと思う。だがこれが警備上など、さまざまな角度から批判されている。“次男坊”の発想、行動スタイルが、国民にまっすぐに伝わらない。
タイムリーな情報発信
その典型が、悠仁さまの教育ではないだろうか。悠仁さまは幼稚園から高校まで、学習院で一度も学んでいない。支持する声より批判の声が大きいこの選択、秋篠宮さまにしてみれば、自分らしさの源泉である「のびのび、自由」を子どもにも味わってほしいのだと思う。
それがバッシングされる理由は明白で、悠仁さまが「将来の天皇」だからだ。次男の家に生まれた唯一の男子。その複雑さが、秋篠宮さまの次男坊スタイルをそのままにしてくれない。気がつけば、“悲しき次男坊”。そんなふうに感じてしまう。これが「思えば遠く来たもんだ」の心だったりして、それにつけても、「男系男子」の窮屈さだ。
ところで、20歳直前の礼宮さまについて美智子さまが語っているのを『新天皇家の自画像』で見つけた。85年、51歳の誕生日を前にしての会見で礼宮さまが運転する車に乗った話になり、そこから「小さい時からの変化」を聞かれたのだ。美智子さまは「あまり変わらない」と答えてこう述べた。
〈小さい時から、非常にものを深く感じる子供で、表面に出てくるのはさり気ないけれど、それを自分なりに一生懸命考えているようなところは今も変わらないと思います〉
秋篠宮さまの会見に話を戻す。宮邸改修問題の後、4月にできた広報室の役割について質問され、「先ほど自分のことがタイムリーじゃなかったのであまり言えないのですけれど」と述べてから、「タイムリーな情報発信」の必要性について語った。バッシングに心を痛めているかという質問には、「目にしなければ気にはならないわけですね。目にすることもやはりあるわけですけれども」と述べた。
自分の言葉で、思いを語る。「深く感じ、一生懸命考える」礼宮さまがそこにいた。(コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2023年12月18日号