今年7月、秋篠宮さまと長男悠仁さまは鹿児島県内の高校で実習農場を視察。牛の静止調教などを見学し、揃って質問をしたという。秋篠宮さまは誕生日会見で、「(悠仁さま)本人が何をしたいかがやはり一番大事」と述べていた

 秋篠宮家が「何でも言ってよい」対象であるかのようになって久しい。中でも昨今、あれこれ言われていたのが改修問題だった。改修を終え、1年近く経った23年6月、皇嗣職が「経費節減が目的」で佳子さまは分室に住んでいると説明した。遅い上にスッキリしなかったから、宮内記者会が、秋篠宮さまに直接尋ねるのは当然だ。

いきなり「本丸」の質問

 とは言え、第一問だったのには少し驚いた。よくある「この1年へのご感想」などからでなく、いきなり本丸に切り込んだ感じに、秋篠宮家を取り巻く環境がそれほど厳しいのだと改めて実感させられた。

 秋篠宮さまが紙を読まないのは、国民に直接語りかけたいという思いからだろう。そのスタイルからまず発せられたのが、「ぐずぐず」「反省」という釈明だった。率直な言葉が、後ろ向きの方向に使われた。そんなギャップからだろうか、中原中也の詩の一節が頭に浮かんだ。

〈思えば遠く来たもんだ〉

 いつの間に、こんなことに。秋篠宮さまはそんなふうに思っていないだろうかと、勝手に切なくなったのだ。

 そもそも秋篠宮さまは、ずっと気楽な存在だった。それがよくわかるのが、89年に出版された『新天皇家の自画像』だ。

 共同通信記者の薗部英一さんが、平成に誕生した天皇ご一家の「記者会見全記録」をまとめたもので、秋篠宮さま(同書でも礼宮さま)の最初の会見は85年11月だった。

弟ならではのスタイル

 成年式を前にして開かれた会見で、1番目の質問は「成年を迎えるにあたっての感想」、次が「皇室のあり方」だった。3問目は「将来、したいこと」で、それへの答えをごく短くまとめるなら、「趣味としての写真」「自然史関係、中でも魚類」だった。学生生活についても聞かれているが、問いは「好きな学科、嫌いな学科は」だった。

「将来したいこと」は、記者も本人も最初から「本業以外」が前提のように読める。大学生に「好きな学科、嫌いな学科」もないのではないか、と思う。現在の陛下(当時の浩宮さま)が成年式にあたって開いた80年の初会見では、記者が「皇孫のお立場として、現在の皇室のあり方、とくに国民との接触についてどうお考えになっていらっしゃるか」と聞いていた。礼宮さまの時と比べるとずっと前のめりで、その差は相当に大きい。

 そんな礼宮さまだったが、結婚秋篠宮として活動する中で、「のびのび、自由」を皇族としてのスタイルに昇華させていったと思う。「将来の天皇」として慎重にならざるをえない兄に対し、はみ出すことも辞さない弟ならではのスタイルだ。同時に皇室にあって、国民の目を持つ。そんな思いも強く持つようになったと思う。

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