58歳の誕生日にあたっての会見で「私自身がぐずぐずしていた」と述べた秋篠宮さま。その率直な言葉遣いはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか。
【写真】まさか1人だけドレスコードが伝わっていない?女性皇族がずらりと並んだ一枚
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写真集『素顔の昭和天皇』は1996年、朝日新聞社から出版された。写真家の吉岡專造さんが71年から約4年をかけて昭和天皇を撮ったもので、たくさんのことが読み取れる。
昭和天皇と香淳皇后は大変仲が良い夫婦だということ、香淳皇后は洋装がよく似合うということ。そして皇室は、属するメンバーにとって紛れもなく家庭なのだということ。それがはっきり伝わってきたのは、幼き日の秋篠宮さま(礼宮さまと称号で呼ばれていた)がいたから。あまりにもキュートなのだ。
ネクタイ&半ズボンで出席した香淳皇后の「古稀を祝う会」では、丸いテーブルの下に頭を半分突っ込んでいる。兄の浩宮さま(現在の天皇陛下)の背中にくっついて、甘えてもいる。
吉岡さんの撮影日記が載っていて、「古稀を祝う会」当日(73年3月9日)の記述はこうだ。
〈礼宮(現・秋篠宮)が東宮侍従といっしょに「ごちそうがあるお部屋はココッ?」と話しながら入って来られる。(中略)礼宮は初等科一年生らしく、部屋の中をころげ回ったり、テーブルの下にもぐったり、たいへんにのびのびと動き回っている。宮中という場所だけに礼宮の自由な子供らしい動きがたいへんほほえましかった〉
「ぐずぐずしていた」
のびのびと自由。これが今も秋篠宮さまのスタイルだ。だから記者会見でも、用意した紙を読むことをしない。11月30日、58歳の誕生日にあたっての会見でも、そうだった。
第一問は「住まいについて」。秋篠宮邸の改修後も次女の佳子さまが改修前の分室で暮らすことになった経緯や、当初の計画からの変更点を公表しなかった理由を「お聞かせください」と単刀直入な質問だった。
秋篠宮さまは、増築は皇嗣職職員事務部分(約66%)が大きかったと話を始め、佳子さまが今も分室にいるのは結婚で皇室を離れる可能性があるからだと説明した。そして公表のタイミングについては、こう述べた。
「私自身がそのことについて、かなりぐずぐずしていたということがあります。つまり引き延ばしてしまい、非常にタイミングとして遅くなったなというのが反省点です」