街頭演説を続けていくうちに「辻立ちクイーン」と呼ばれるように(画像=本人提供)

落選後は「頭が真っ白になった」

 森下さんに人生で一番印象に残っている日を尋ねると、21年10月の衆院選を挙げる。

「やはり忘れられないですね」

 森下さんが立候補した宮城5区は、立憲民主党の安住淳氏が8期連続で当選しており、「安住王国」と呼ばれる選挙区だった。その中で森下さんが獲得したのは6万1410票。安住氏に約2万票まで迫ったが、落選となった。

「地縁も血縁もない落下傘候補だったので、『私の名前を書いてくれる人なんているのかな』という不安しかありませんでした。だから、私に入れてくれた方がこんなにもいらっしゃったというのはうれしかったですね」

 投開票日、結果を知らされたときはどのような気持ちだったのだろうか。

「なんて表現したらいいんですかね……。こう、目まぐるしく過ぎていく日々で、本当に色んな気持ちが混ざり合っていて。うまく言えないんです。やっぱり何もないところからのスタートだったので」

 結果がわかった瞬間は、「頭が真っ白になって、今後のことは考えられなかった」と話す。

「ゆっくり考える時間もなく、応援してくださった方にメールを送ったり、電話をかけたりと、30分くらい横になったかもしれないですが、ほとんど寝る暇もなく動いていました」

 落選後もすぐに、街頭に立った。いつものように演説をしているときのこと。自転車に乗っていた顔見知りの女性が、街頭に立つ森下さんを見つけるなり、泣きながら向かってきたのだという。

「『よかった!』って言ってくれたんです。もちろん落ちたのは良くないですよ(笑)。『落選したから、活動を辞めて帰ってしまうんじゃないかって思ってた』と言うんです。この方の言葉を聞き、半年間の活動が無駄じゃなかったんだなって思いました」

※【後編】<「森下千里」が政治家になった今だからこそわかる「志村けん」さんの言葉の重み>に続く。

(AERA dot. 編集部・唐澤俊介)

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