誰もが使いやすい製品やサービスを推進し、より多くの人々へ普及させる活動をおこなっている「公益財団法人共用品推進機構」という団体があります。同団体はこれまで、障害のある人の生活を良くするために「不便なモノやコト」を調査してきました。しかしそれではマイナスをゼロにすることはできてもプラスにすることはできないと気づき、2013年からは「良かったモノやコト」を調査するようになったそうです。
そうして障害のある人たちの生の声を集めて紹介した書籍『「良かったこと探し」から始めるアクセシブル社会:障害のある人の日常からヒントを探る』が出版されました。同書には、障害の有無にかかわらず、多くの人が思いやり、共生する社会を実現するためのヒントがたくさん記されています。
たとえば同書で紹介された、社会福祉法人日本点字図書館理事長・長岡英司さんが通勤電車の中で経験した「良かったコト」です。長岡さんはまったく目が見えない視覚障害者で、白杖を使って生活しています。
それまで満員だった通勤電車がコロナ禍の影響で空席が多くなったときのこと。長岡さんは目が見えないので、どの席が空いているのかを探すのは非常に困難です。そのため長岡さんはいつものように空席探しはせず、ドア付近の手すりにつかまって立っていました。
すると、ある女性が「座りますか?」と長岡さんに声をかけて空席に誘導してくれたそうです。そして次の日も同じ人が「昨日の席は空いていないので、その隣です」と誘導してくれ、そんな15秒足らずのやりとりが数か月続きました。
そんなある日、また「座りますか?」と声をかけられた長岡さん。しかし「いつもの人」の声ではありませんでした。
「言葉は同じでしたが、声のトーンが明らかにいつもの人と違います。長岡さんは『はい』と一言、数か月間、いつもの人に伝えたように答えました。すると、声のトーンが違う女性も、いつもの通りの方法で、長岡さんを空いている席の前まで誘導し『ここです』と一言告げて、いつもの人と同じようにその場から離れていきました」(同書より)
「いつもの人」がいないことに気づいた別の人が代わりに声をかけたのかもしれません。目が見えないことで空席探しを諦めていた長岡さんでしたが、「いつもの人」や2人目の人、ときにはまた別の人が空席に誘導してくれたことで、約2年間、空席に座ることができました。
その間、長岡さんと「いつもの人」のあいだに会話はなかったけれど、長岡さんの通勤時間が変更になったことをきっかけに、いつものお礼を伝えたところ、「いつもの人」は「最初、長岡さんだけが立っているのを見て、フェアではないと思い、声をかけました」と当初のことを教えてくれました。
「いつもの人」の最初の行動から思いやりが連鎖した素敵なストーリーですね。同書にはほかにもこうしたストーリーがたくさん紹介されていて、「自分だったら声をかけられただろうか」「自分にできることはなんだろう」と考える、いいきっかけになります。
ほかにも、シャンプー・リンス・ボディソープやアルコール飲料の容器に、触っただけで分かる触覚記号(容器側面のギザギザ)がついた経緯などの紹介もあり、日常の中で気づいていなかった小さな変化に驚くかもしれません。また、障害のある人の生活を具体的に知れるのも、いい学びになるのではないでしょうか。
「大切なことは、どこかの事例集を眺めてそれと同じことをするだけではなく、その場、その人に合った『良かったこと』を、考えて実行することです。
ただし、他に行われた良かったことを、知っているか、いないかでは、大きな差が生まれてきます」(同書より)
同書で学んだ知識は、きっとこれから出会うさまざまな人への配慮に役立つはずです。「良かったコト・モノ」に関するストーリーを知ることで、思いやりの引き出しが少しずつ増えていくことでしょう。
[文・春夏冬つかさ]