国後島(撮影:宮嶋茂樹)

ご飯と海苔が出た

宮嶋さんが訪問したころの国後島の人口は約6000人。そのほとんどが中部の古釜布(ふるかまっぷ)に住んでいた。

「高台にレーニン広場があるんですが、ここから日本の携帯電話が通じました。テレビはNHKが入りますし、フジテレビの『笑っていいとも』も映った」

道路はほとんど舗装されておらず、そこを日本製の車やバイクが走っていた。車が走れないほどぬかるんだ道では軍の戦車のような車両が食料品を運んでいた。写真には、いかつい車体の上に「ホクレン たまご」と書かれた段ボール箱が写っている。

民宿に泊まると、驚いたことに、「白いご飯と海苔が出ました。刺し身はありませんでしたけれど」。

その後、宮嶋さんは02年にも国後島を訪れた。印象に残ったのは、日本からのいわゆる「援助づけ」の実態である。

「はしけ(小型船舶)を供与し、発電所を建設し、『ムネオハウス(日本人とロシア人の友好の家)』まで建てた。現地の人は日本の援助を当てにするようになっていた」

国後島で出会ったロシア人は親日的だった。宮嶋さんはニコニコと住民に接して写真を写した。

「でも、腹の底で怒っていましたね。『ここは日本だぞ』って。その気持ちを抑えながら写真を撮っていました。ロシア政府に対する怒りは当然ですが、北方領土返還をちらつかされて、だまされるように金を出し続けた日本政府に対してもです」

宮嶋さんは国後島を訪れた際、「日本国領土」と書かれた石板と日章旗を持参した。

「その石板を置いて、日の丸を振っている写真を撮ってきました」

国後島(撮影:宮嶋茂樹)

「いつロシアから取り戻すんだ」

国後島からサハリンに戻るとホテルに外務省から電話がかかってきた。「ロシアから国後島を訪れたのは国益に反する行為であり、厳重に抗議する」という内容だった。

「ロシア経由で国後島を訪れることについて、悩まなかったわけではありません。でも、そういう行動をとった、ということです。こんな稼業をしていて八方美人でいることはできませんから」

結局、日本人で国後島を撮影したのは宮嶋さんが初めてではなかったが、「やっぱり行ってよかったですね」と振り返る。

最近、ウクライナを取材した宮嶋さんは市民から「クリル(北方領土)をいつロシアから取り戻すんだ」と、たびたび尋ねられた。領土や独立に対する強い意志を感じたという。

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】宮嶋茂樹「東京都硫黄島・北海道国後島
JCIIフォトサロン(東京・半蔵門) 10月31日~11月26日

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