エム・トゥ・エム 代表取締役 伊藤眞代(いとう・まこ)/1970年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。生命保険会社の営業職を経て、98年に家業を継ぐ。社長として経営再建に取り組み、業績を回復させた。2017年に脳梗塞で倒れたが、復帰を果たした(撮影/写真映像部・高野楓菜)
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 全国各地のそれぞれの職場にいる、優れた技能やノウハウを持つ人が登場する連載「職場の神様」。様々な分野で活躍する人たちの神業と仕事の極意を紹介する。AERA2023年10月16日号にはエム・トゥ・エム代表取締役 伊藤眞代さんが登場した。

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 これまでに2度、どん底に突き落とされた。1度目は28歳の時。多額の借金を背負った家業を継いだ。2度目は47歳の時。がむしゃらに働き、会社が勢いに乗ってきた矢先、脳梗塞で倒れた。再起不能かと思われた。

 家業は明治時代に東京・浅草で開いたレストランにルーツを持つ老舗。東京大空襲で戦火に焼かれ、カレールーなどを製造販売する会社として再建した。

 だが、1990年代には主力の下請け事業が行き詰まり、会社の存続が危ぶまれる事態に陥った。清算も考えたが、弟とともに再興を決意した。

 はじめに取りかかったのは自社ブランドの確立だった。レストランの味を家庭で味わってほしいという創業当時の思いを大切にしながら、レシピを現代風にアレンジ。小麦粉の代わりにキビ粉を使ったグルテンフリーのカレールーなど、独自性のある商品を次々と開発し、小売店や卸業者への営業に駆け回った。

「天性の負けず嫌い」が奏功し、業績は順調に回復。だが、引き継いだ負債の大きさと経営を担うプレッシャーは、心身を確実にむしばんでいた。発症から16時間後に運ばれた病院で脳梗塞だとわかり、医師からは「重度の後遺症が残る」と言われた。

 退院後も言葉は話せず、ふさぎ込む毎日だった。一時は自死も頭をよぎったという。そんなある日、リハビリをかねて登った鎌倉の山から見えた景色に心が震えた。「空の広さと相模湾の深さに比べたら、病気なんてちっぽけだ」。そう思えてからは「天性の負けず嫌い」が戻ってきた。

 闘病中も会社を支えてくれた工場長である弟や社員のためにも、諦めるわけにはいかなかった。

「脳梗塞を患い、話せません」。そう書いた紙をネームプレートのように胸にぶらさげ、営業を再開。驚く担当者も多かったが、やりとりはすべて筆談で済ませた。

 後遺症にも負けず、ビーガン(完全菜食主義者)対応の商品や原料に薬膳食材を使った「薬膳カレールー」なども次々に開発。9月にはフランスへの輸出も決まった。

 今後の目標は祖父が営んでいたレストランを再オープンすることだ。

「大好きな鎌倉の地に人々が集い、おいしい料理を囲む。そんな場所を作りたいです」

(ライター・浴野朝香)

AERA 2023年10月16日号