夏目漱石と正岡子規が暮らしたとされる愛媛県松山市。そこには『坊っちゃん』にも登場する遊郭街が存在した。しかし、それらもほとんどが打ち壊され、今では様変わりしてしまった。奥田瑛二さんと夏井いつきさんが正岡子規について語り合った『よもだ俳人子規の艶』(朝日新書)では、その遊郭街と文化の保存についても言及。本書から一部を抜粋、再編集し、紹介する。
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夏井:うちの伊月庵は、道後の上人坂にあるんだけどね。かつて子規と夏目漱石が愚陀仏庵で五十二日間の同居生活をしていた時も、二人はこの坂を歩いたらしいのね。
奥田:子規が漱石のところに転がり込んだという愚陀仏庵!
夏井:そう。漱石の下宿だった愚陀仏庵の一階に子規が居候した。漱石は二階ね。
当時の漱石は松山中学校で英語教師をしていたから、まっとうな社会人。一方の子規は、病気を心配する周囲の反対を押し切って「日清戦争に行きたい!」と従軍記者になったものの、戦争が終結。しかも、帰りの船で喀血して重態に陥り日本にたどり着いた。そして、神戸の須磨保養院で養生後に、漱石の下宿に転がり込んだわけ。
奥田:漱石がその頃、松山にいたというのが、まさに運命。
夏井:そうなの。漱石が二階で真面目に仕事してると子規は友人たちを集めて句会を始めちゃう。うるさくて仕方なくて、結局漱石も俳句を始めることになった。