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松山の道後温泉。遊郭街はこの近くにあった(写真:GettyImages)

 夏目漱石と正岡子規が暮らしたとされる愛媛県松山市。そこには『坊っちゃん』にも登場する遊郭街が存在した。しかし、それらもほとんどが打ち壊され、今では様変わりしてしまった。奥田瑛二さんと夏井いつきさんが正岡子規について語り合った『よもだ俳人子規の艶』(朝日新書)では、その遊郭街と文化の保存についても言及。本書から一部を抜粋、再編集し、紹介する。

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夏井:うちの伊月庵は、道後の上人坂にあるんだけどね。かつて子規と夏目漱石が愚陀仏庵で五十二日間の同居生活をしていた時も、二人はこの坂を歩いたらしいのね。

奥田:子規が漱石のところに転がり込んだという愚陀仏庵!

夏井:そう。漱石の下宿だった愚陀仏庵の一階に子規が居候した。漱石は二階ね。

 当時の漱石は松山中学校で英語教師をしていたから、まっとうな社会人。一方の子規は、病気を心配する周囲の反対を押し切って「日清戦争に行きたい!」と従軍記者になったものの、戦争が終結。しかも、帰りの船で喀血して重態に陥り日本にたどり着いた。そして、神戸の須磨保養院で養生後に、漱石の下宿に転がり込んだわけ。

奥田:漱石がその頃、松山にいたというのが、まさに運命。

夏井:そうなの。漱石が二階で真面目に仕事してると子規は友人たちを集めて句会を始めちゃう。うるさくて仕方なくて、結局漱石も俳句を始めることになった。

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夏井いつき

夏井いつき

夏井いつき(なつい・いつき) 1957年愛媛県生まれ。俳人。俳句集団「いつき組」組長。8年間の中学校国語教師を経て俳人へ転身。94年「第8回俳壇賞」、2000年「第5回中新田俳句大賞」受賞。創作活動に加え、「句会ライブ」や講演など、俳句の種まき運動の傍ら、MBS「プレバト!!」など各メディアで幅広く活躍。15年より初代俳都松山大使。主な著書に、『句集 伊月集 鶴』『夏井いつきのおウチde俳句』(共に朝日出版社)、『夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業』(PHP研究所)、『子規365日』(朝日文庫)、『瓢簞から人生』(小学館)など。

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奥田瑛二

奥田瑛二

奥田瑛二(おくだ・えいじ) 1950年愛知県生まれ。俳優・映画監督。79年映画『もっとしなやかにもっとしたたかに』で初主演。86年『海と毒薬』で毎日映画コンクール男優主演賞、89年『千利休 本覺坊遺文』で日本アカデミー主演男優賞を受賞。94年『棒の哀しみ』ではキネマ旬報、ブルーリボン賞など8つの主演男優賞を受賞する。2001年監督デビュー。近年の出演作に、主演映画『洗骨』(19年/照屋年之監督)、連続テレビ小説「らんまん」(23年度前期/ NHK)などがある。主な著書に、『男のダンディズム』(KKロングセラーズ)、『私の死生観』(共著/角川oneテーマ21)など。

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お寺さんへの坂の両サイドが遊郭?